3.地域の高齢者居住支援活動 |
構造的に高齢者を呼び込む地域では活性化策も金をドブに捨てるようなもので、
根本的な仕組みを改善しなければこの状況を抜け出すことは出来ない。
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こうした環境の中で商店街も疲弊して活力を失っている。商店街は開発当時の役割を終え、新たな役割を模索しながらも衰退しつつあることから、近隣の大学やまちづくりNPOなどが地域に入って活動を始めている。筆者の関わる「多摩ニュータウン・まちづくり専門家会議(たま・まちせん)」も2007年12月から空き店舗を借り受け、地域の活性化に寄与できるよう活動の場を運営してきた。しかし、今、こうした活動には限界があると感じている。実態として、若い世代を追い立てて、そこに高齢者を呼び集めてしまう仕組みが、基本的に地域活性化の動きに水を差す結果となっている。
確かに商店街のイベントなどを行うと、沸いてくるように子供達も多く集まる。昨年の七夕イベントに商店街活性化の補助金を活用してビンゴ大会を開催したが、その景品目当てに最高で450人もの人々が商店街およびイベント会場に集まった。しかし、これは一時的な現象であり日常的な購買行動を約束したものではない。総じて購買意欲の高い若い世帯が減少している現状の中では、一時的なイベントでは地域は活性化しないのである。地区内に全国に名を轟かせている「福祉亭」がある。地域に居住する高齢者等に低価格で食事を提供し、高齢者の居場所を提供しているNPO活動である。従業員はボランティアで運営していて初めて続いている事業であり、商業活動としては成り立たない。
こうした活動は美談ではあっても持続する社会システムとはなり得ない。構造的に高齢者を呼び込む地域では活性化策も金をドブに捨てるようなもので、根本的な仕組みを改善しなければこの状況を抜け出すことは出来ない。国は諏訪永山地区にさらに高齢者支援資金を集中的に投入しようとしている。全国で発生している団地の高齢化に対してのモデル的な事業として地域活性化の活路を見いだそうとしているようにも思うが、結果としてさらに高齢者を呼び込むことにならないかが心配である。
このように諏訪永山地区の問題を考えてくると、決して“住まう側”が主体となった地域活動だけでは解決しない問題が横たわっていることに気づく。それは高齢化の問題ではなく若者や子育て世代の居場所が無いことに突き当たる。団地というコミュニティが子育て世帯の住まいとして作られた歴史はあるものの、既存ストックは単身か二人用の住宅でしか利用できない狭小住宅である。また親族以外での世帯や学生などの共同居住には門戸が開かれていないことから、必然的にコミュニティが結婚を前提とした世帯に限定されることになる。多様なライフスタイルに対応できず、近隣に大学が多くあるにもかかわらず学生が居住する住まいはない。
時代のニーズは変化しているのだが、供給側の視点は40年前の核家族中心の考え方は変わっていない。しかも既存のストックはそのままの状況で温存されており、新たな居住ニーズに対応した改善の機運さえ高まらない現状は地域にとって不幸である。経済不況の中、都営住宅の空き住戸はほとんど無く、機構の賃貸住宅についても階段タイプの上層階や増築した比較的家賃の高い住戸には空きが見られるものの全体としては少なく、賃貸住宅経営者としては入居者のいる限り、保有する住戸に対する改善施策は全く思いつかないのが現状であろう。ましてや大規模住宅を管理する東京都や都市機構にとって限定的な諏訪永山地区の住宅ストックについて特別な施策を講じることはありえないことで、放置して置いても十分な家賃が入る賃貸団地が地域コミュニティに陰を落としている現実など気にかけることもないのが実態であろう。
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