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第170回(2024年1月18日)

■テーマ: 『人が集う、都市農地』 〜“農”が持つ魅力と力とは
■講師: 舩木翔平(ふなき しょうへい)さん(八王子市議会議員、認定農業者)

舩木さんは、2010年に東京農業大学を卒業された後、2012年に八王子市で新規就農されました。当時、鈴木亨さんの牧場跡をかりて、YUGI MURA Farm"おっさん牧場"を立ち上げ、株式会社FIOを設立されたばかりのころでしたが、”大学をでたばかりの農家とは無縁の若者が、新規就農して都市農業に新しい風を起こそうとしている面白い人がいる”ということで、話を聞いてみようと2013年2月の第86回木曜サロンで話していただきました。それから10年が経過し、2013年4月の八王子市議選で市議にも当選し、舩木さんの活動はどのように進化しているのか、とても興味深く話を聞かせていただきました。

舩木さんのこれまでの活動は、”都市”で農業を営む意味、農と人との関わり、都市の中の農地の在り方・・・を問いかけ、答えを追い求める活動のように思えます。2013年〜2017年の株式会社FIOは、若い農業仲間3人で、農産物販売、農業体験、農家連携などを目的として、野菜・ハチミツの⽣産販売、農業体験イベント企画運営などの事業を展開されてきました。2018年には一般社団法人畑会の設立に参加し理事に就任されました。

畑会は「畑での出会い」を提供し、農業経営や農を基盤としたコミュニティづくりを目指して、農業体験と農作物を使った料理を⾷べるイベント、研修事業&シンポジウムなどの事業を展開しておられます。また、ユギムラ体験農園(ユギムラ牧場)、もぐもぐファーム体験農園(小比企町)、八王子モーモー体験農園(磯沼ミルクファーム)などの体験農園サポートや援農サポートも行っています。

今後は、農地の有効活⽤のため、体験農園の仕組みを基本とした農園づくり、オーナーである農家が主役として、農園に関わる⼈達と共に⾃主的で持続的な運営のサポートを目指しておられます。

都市農業を守るためには、農業生産だけでなく体験農業や貸農園などのビジネス的な視点を持った人材が欠かせず、人材育成も重要な課題とのことです。畑会にもいろいろと相談が増えており、今後はさらに人的ネットワークを広げ、たくさんの人の希望や夢を実現できるような企画を進めていきたいということです。ご自身の出身大学のつながりも貴重なネットワークとなっているようです。

また、農地の賃貸借に関する法的な備えは十分とは言えませんが、市民農園・体験農園を開設するうえで、「特定農地貸付法」「市民農園推進法」などの法的な枠組みもできてきています。練馬区では、農家が開設する体験農園を推進し支援するため、「農業体験農園」の制度がつくられており注目されます。さらに、農家が安心して体験農園を経営していけるような、信頼関係を構築するための中間管理機構のような役割が必要ではないかと指摘されています。都市部における農業体験ニーズは高く、今後も交流の場や新たなコミュニティ形成の場として大いに期待されるとのことです。

畑会の活発な取組みが注目され、2022年度からは多摩市の農業公園構想推進のサポートも始まっています。農業公園構想は多摩大学の東側の連光寺・若葉台里山保全地域の拡張区域内の農地を、市民が農作業の体験や、体験を通じた交流・ふれあいなどを行うことができる農業公園として整備しようというものです。

多摩市は東京都の補助金を活用し、エリア内の生産緑地を買い上げ、2027年(令9年)のオープンを目指しています。2023年度にはプレイベントとしてサツマイモやジャガイモの植え付けから収穫までの体験学習も行われ畑会もサポートを担っているとのことです。
会場からは、農業公園近くの天王の森公園・八坂神社の貴重な近代歴史的スポット(明治天皇の行幸やその行幸をめぐる地域社会の動向など)も視野に入れたエリアの活用の提案もあり、今後の多様な展開が期待されます。

舩木さん個人としても、遊休農地の活用や都市農地を守るための活動もされています。
2017年には八王子市小比企町の1,000uの遊休農地耕作放棄地を活用し、イチジクの栽培を始められ、「東京イチジク」のブランドで販売しています。懇親会では、イチジクの収穫時期と議会開催時期が重なることの悩みも話されていました。

さらに、2022年に八王子市大谷町(通称ひよどり山)にある1,500uの生産緑地(市街化区域)を購入されました。サツマイモ作りや一部をひまわり畑として活用、地域の子どもたちや保育園児の来園もあるようです。資金的にも今後の税負担なども考えると、相当思い切った決断だったのではないでしょうか。

ひよどり山エリアは、20軒ほどの農家もありますが、都有地も多く2000年の三宅島噴火の際には、避難してきた島民が農業を営む「三宅島げんき農場」としても利用され、その後「とうきょう元気農場」が開設されて生産物は都内区部の学校給食の食材供給に充てられているとのことです。八王子市としても都市農地の利活用が期待できるエリアとして取り組んでいるとのことです。

”農”は農業生産、農を通じたコミュニティづくりなど多様性を秘めていますが、中でも教育的な意義も重要だと言っておられます。農水省においても農業体験の提供や生産者からの学びなどを目的として「教育ファーム」の取組を推進しています。

自治体の取組み事例の紹介もあり、市議の一員として視察された新潟市の「アグリパーク」は市の教育委員会に農業担当が配置され、農業体験学習の年間のカリキュラムを作成し、子供たちの農業教育が行われているとのことです。ほかにも、横須賀市の「地域の魅力体験サイトシテコベ」、小金井市の「わくわく都民農園」(JR小金井駅徒歩5分!)を挙げていただきました。

注)「地域の魅力体験サイトシテコベ」(横須賀市)・・・横須賀市の市議で起業家の嘉山氏が運営する「株式会社シテコベ」は、地域の魅力に付加価値を高めるため、農業体験や漁業体験などを行っています。シテコベとは三浦半島の長井弁で「やってみよう(してこべぇ)」という意味で、自然環境豊かな三浦半島で「漁業・農業体験などを通して、地域資源や魅力に触れてもらいたい」という思いから事業をスタートしたそうです。ファミリーから小中学校の団体まで、農業・漁業・酪農・里山自然体験などの季節に応じた三浦半島の楽しみ方を企画・創造しています。

注)「わくわく都民農園」(小金井市)・・・東京都が、生産緑地の貸借制度を活用して令和4年に開設されました。都市農地の保全、高齢者の活躍、多世代交流などを併せて進める事業で、東京都、運営事業者である(一社)小金井市観光まちおこし協会、小金井市、生産緑地所有者の四者で協定を締結し、協働により実施しています。農園の運営は「シニア農園」「学校農園〈共菜園〉」「福祉公園(農福連携)」「地域農園(地域・多世代交流)」「子ども農園(農体験による学び)」の目的別に5種類の農園を提供しています。

舩木さん、市議との2足わらじでお忙しい中、ありがとうございました。多摩市の農業公園の今後の展開や、舩木さんの様々な試みもこれから楽しみにしています。

(2024.1.30[Tue]記載)


第169回(2023年11月30日)

■ テーマ: 「植物から見た多摩ニュータウン」
■講師: 仙仁 径(せんに けい)さん(公益財団法人多摩市文化振興財団学芸員)

仙仁さんは、東京農業大学造園学科を卒業後は都立大学の大学院理学研究科で生物学を専攻され、博士課程では高山植物のDNAを通じて辿ってきた歴史の研究などにも携わってこられました。現在はパルテノン多摩(公益財団法人多摩市文化振興財団)の学芸員として、生物からさらに幅広く自然全般を担当されています。

NHKの朝ドラ「らんまん」では、多摩の植物も登場するので、植物考証の一部も担当されていました。本日は、“ニュータウン開発前後の植物と、その今と未来”という内容でお話ししていただきました。

開発前の多摩丘陵は里山として、雑木林、田、畑、カヤ場などに利用され、農作業を通じて自然に手を加え、維持されてきました。人々の暮らしが生物多様性を基盤とする生態系から得られる恵みによって支えられていました。多摩丘陵の雑木林はコナラ、クヌギなどの落葉広葉樹が主体で、その根元にはカタクリなどスプリングエフェメラル(春植物)という、春に芽を出し花が咲き、翌春まで休眠するという性質を持つ植物がみられます。

多摩丘陵固有種としてはタマノカンアオイ(牧野富太郎博士が発見し発表)やタマノホシザクラ(2004年に新種として発表)があります。前者は多摩丘陵を超えてやや広く分布していますが、後者は多摩、八王子、町田の限られた地域にのみ生息しています。

雑木林は十数年のサイクルで伐採とひこばえの成長が繰り返され、また下草刈り、落ち葉かきなど手が入ることで雑木林の生物多様性が維持されてきました。近年、燃料革命などにより薪炭需要がなくなることで雑木林の役割がなくなり、手が入らなくなって生物多様性も減少しました。カヤ場は役割とともに消滅しました。カヤ場はススキ草原を好む植物の宝庫で、以前は黄色に染まるほどのオミナエシが生えていました。マツムシソウやヤマトラノオも多摩丘陵では見られなくなってしまいました。

貴重種が生息する湿地や水辺もありました。多摩市の永山南公園あたりは岩ノ入池という湿地があり、モウセンゴケやトキソウが生息していました。八王子の長池には絶滅危惧種に指定されているサワギキョウやミズオトギリが生息しています。多摩地域の植物研究家である畔上能力(あぜがみちから)氏はこれらの保全の必要性を唱えられていました。岩ノ入池は残念ながら開発されてしまいましたが、長池は現在も長池公園として残されています。

開発に伴い、造成地の緑化が行われましたが、多摩丘陵は上総層群という海底で形成された砂や礫の多い硬い地層が造成で露出し、当初はクロマツやハリエンジュなどの乾燥や貧栄養に強い樹種が植栽されていました。

後になると既存樹木や表土の保存利用も行われるようになり、緑化の改善だけでなく、生物多様性の保全、他地域からの混入による遺伝かく乱の防止、土中に埋もれていた在来種の復活などの効果もありました。

大規模開発に伴う行財需要の高まりから、多摩市は行財政要綱を定め、開発主体の住宅都市整備公団(現、UR都市機構)と協定を結び、住区の30%はオープンスペース確保などの取り決めを行いました。また昭和40年代後半の環境問題への意識の高まりなどの背景もあり、開発に伴う緑地の保全や緑の環境形成が進められることになりました。貝取山緑地の保全や鶴牧・落合地区の基幹空間における連続した公園配置によるオープンスペースの確保、上之根大通りのモミジバフウなどの美しい街路樹の整備や街路樹の根元の緑化などがあげられます。また、ニュータウンの公園には、他ではあまり見られないような、シイモチ(東中野公園)、イスノキ(貝取北公園)などの樹種も植えられています。

一方、大造成に伴い外来種が多いのも特徴となっています。セイタカアワダチソウ(北米原産)、ブタナ(欧州)などがあります。タマノヤガミスゲ(北米)は、地域の愛好家に発見された非常に珍しいものですが、すでに消滅したようです。最近ではナガミヒナゲシ(地中海)が増えています。外来種の帰化率は多摩市では21.4%と他地域に比べ高いのが特徴です。(相模原市17.5%、秋田県14.4%)

多摩ニュータウンは豊かな緑の多い環境が形成されています。豊ヶ丘団地の住民の観察会のサポートも行っていますが、豊ヶ丘団地の緑地では96科、277種の植物が確認されています。一方で、多すぎる樹木や育ちすぎた樹木は、維持管理の上で問題も生じています。多摩市は街路樹の単位人口当たり本数が他自治体と比べて突出しています。また幹回りの太くなった樹木も多く、高木の剪定費用は大きな負担となっています。最近の街路樹はハナミズキのような大きくならないものや、ケヤキの品種“武蔵野”のような横張の小さい樹種が選択される傾向があります。

外来種が社会問題になるケースもあります。ハリエンジュという樹木は他の植物の生長を抑止する物質を分泌し、在来種を駆逐してしまいます。永山ハイツ斜面では、緑化で植えられたハリエンジュをすべて伐採しています。ハリエンジュは「日本の侵略的外来種ワースト100」「要注意外来生物」にも指定されているほどです。

また、松の老木の増加によりマツノザイセンチュウという昆虫がもたらす松枯れも数年前からみられます。カシナガキクイムシによるナラ枯れも多摩市でも3年ほど前から目立つようになっています。雑木林で炭焼きが行われなくなったことで老木が増えたのが大きな要因です。

人の手が入らなくなったことで雑木林の植生遷移もみられ、常緑樹が増加したり、アズマネザサが生い茂ったりといった生態系や植生の変化が顕著になっています。かつては管理することが収益の増加につながったのが、今では管理にコストがかかるようになってしまったことが要因と言えます。

一方で、在来種が戻ってくる事例もみられます。ニュータウン通りの中央分離帯にスミレの群落が復活していたり、クチナシグサなどの絶滅危惧種に指定されている植物もニュータウンの中で見かけます。開発から年月が経過し、周辺に残っていた在来種がニュータウン内に戻ってきているのではないかと思われます。

2020年に長池公園の長池の水を抜くカイボリを行ったときに、土の中に眠っている埋埋土種子から、東京都から絶滅したと思われていたジュンサイやユキノシタが復活したこともありました。永山南公園の地下にもかつての岩ノ入池に生えていた絶滅種の種子が眠っているかも知れません。ボーリングでこれらを復活させることが夢です。

エビネ、オキナグサ、タマノカンアオイなども、民家の庭で生き延びている例もあります。開発前から多摩市に住んでいる人の家の庭を軒並み調査できたら、思わぬ植物も発見できるかも知れません。

植物や樹木は適切な管理を行うことで、多様性が保たれます。しかしながらコストの問題があります。また、ニュータウンでも植生は徐々に変化しており、温暖化の影響も考えられるなかで、変化し続ける植物を記録することが使命だと仙仁さんは語っておられました。

普段、見過ごしがちな草花や樹木のとても興味ある話を聞かせていただき、これからニュータウンを歩く時の目の置きどころも変わってくると思います。

(2023.11.30[Thu]記載)


第168回(2023年9月21日)

■ テーマ:「たま・まちせん木曜サロンで14年ぶりに語る 多摩ニュータウン開発“成果”の検証」
■講師: 成瀬恵宏:鞄s市設計工房・代表<元・多摩ニュータウン担当公団職員>

成瀬さんは、14年前に「誰かが作ってくれた“お仕着せ”の人工都市『多摩ニュータウン』をもっと“普通の街”に..!!」というテーマで話をしていただいて以来の登場になります。

今回は、ニュータウン開発の着想期・中興期・成熟期の歴史的経緯の解説に加え、開発“成果”の検証を、住宅建設・施設建設や居住人口・就業人口・従業人口あるいは夜間人口・昼間人口そして各商業集積・各駅乗降客数さらには代表的な多摩市の自治体財政事情などの視点からお話ししていただきました。

まず、冒頭で、摩ニュータウンには多くの優秀な設計者が関わっていますが、それらを地図上にプロットした「多摩ニュータウンデザイナーズマップ」(多摩ニュータウン30周年記念事業のなかで成瀬さんが作成されたもの)を紹介していただきました。これをみると、いつ頃、誰が、どこの設計・デザインに関わったかということが一目でわかる資料になっています。

本日の資料は、前回の14年前のデータから、この間の様々な講習会や研究会での蓄積を踏まえ、新たな知見を加えて作成されたもので、今年の多摩市の「都市計画マスタープラン改訂特別委員会」で報告した内容と同じものですが、委員会では45分の駆け足で説明した内容をたっぷり90分かけて、説明していただきました。

本題に入る前に、成瀬さんご自身の多摩ニュータウンへの関りや、多摩ニュータウンのスケール感を都心山手線と、また多摩センター駅周辺を新宿駅周辺と比較しつつ、感覚的にわかりやすく紹介していただき、多摩ニュータウンの「1中2小」の住区モデル、立体的歩車分離による住区間の連携と都市の骨格づくりなどの特徴についての説明がありました。

本題の話は、多摩ニュータウン開発を、「着想期、中興期、成熟期」の3つの時代に区分し、それぞれの時期の諸課題やそれへの対応についての説明がありました。

着想期は、そもそも多摩ニュータウンがどういう目的と発想で始まったか、どういう問題や課題をはらんでいたか、どういうまちづくりを進めようとしてきたかといった、歴史的な話が主題です。

ニュータウン開発の発想は、大都市圏に人口が集中し、東京圏では年間30万人の人口が流入し、郊外へのスプロール的な拡散が顕著だった1960年代、東都知事の時代に始まりました、その後の3期12年にわたる美濃部都知事の時代にブレーキがかかることになります。その間に千里ニュータウンは完成してしまいます(1960年〜1970年)。

当時は爆発的な地価高騰の時代であり、ニュータウン計画も極秘のうちに始まります。当初の計画は、多摩弾薬庫から多摩村南部丘陵、町田市北部丘陵にかけての1600haに15万人規模で検討されていました。計画の責任者であった東京都の初代都市整備局長山田正男氏はニュータウンという言葉が好きではなく、「ニュートーキョー」と言っていたことや、極秘情報を嗅ぎつけた横倉舜三氏の陳情話などのエピソードも聞かせていただきました。

1963(S38)年に新住宅市街地開発法が成立し、ニュータウン開発が土地の全面買収方式で行うことが可能となる仕組みが出来上がります。開発計画は日本都市計画学会に委託されますが、実際には住宅公団に委ねられ、今野博宅地開発部長のもとに7人の有能な人材が集められ(「7人の士」と呼ばれていたそうです)、極秘裏に検討が進められ、「多摩ニュータウン開発計画1965−報告書」いわゆる当初マスタープランがまとめられました。その際に交通輸送計画を立案された八十島義之助東大教授は、多摩ニュータウンには鉄道が必要であり、沿線人口40万人あれば鉄道は成立できると提言され、これを受けて人口30万人に拡張され、区域も稲城町から、多摩町、八王子市(当時は柚木村)、町田市まで含むことになります。稲城は当時首都圏整備計画のグリーンベルトに含まれており、この結果を受けて、首都圏整備計画はすぐに崩壊することになったということです。

マスタープランでは、確実に予想される問題点として、施行者が2以上にわたることにより起こりうる問題、全面買収に伴う問題、都市スケールで開発することによる問題、複数自治体にまたがることによる問題など当初から想定されていました。用地買収を巡っては、地元住民から既存集落を除外する要望が出て多摩町議会も意見書を提出してきました。これに対して、集落除外を見越した自然地形案が検討され、東京都施行の愛宕・松ケ谷では自然地形案に沿った開発がされましたが、公団区域は中造成、大造成案などが検討されることになります。また、既存集落地は新住宅市街地開発区域から除外され、土地区画整理事業が導入されました。

1966年末に最初の事業決定がなされますが、半年後の1967年春には美濃部革新都政の出現によってストップがかかり、迷走することになります。東京問題調査会やロンドン大学のロブソン教授による提言など学者提言により学者知事の説得も行われました。

多摩ニュータウン開発の資金は、郵便貯金などからの借金(財政投融資)でまかなわれますが、用地買収を進めたものの、宅地処分ができないと膨大な金利負担が膨らむことになります。それ故に、宅地整備を急ぐ手法として、丘陵地の上部から試験盛土・仮設ダム工法による先行整備が編み出されました。

多摩町は学校等の先行投資により町財政が圧迫されることを懸念し、財政支援を訴えて住宅建設協議は難航します。町田市は「町田市団地白書1970」で団地進出による児童・生徒の増加は文部省基準をはるかに上回るという実態を明らかにし、団地進出拒否の姿勢を打ち出します。

そのような状況のなか暫定対応で決着し、突貫工事で諏訪・永山地区の初期入居6300戸が1970年7月〜1971年3月に実現しました。しかし、鉄道がないまま初期入居を行った諏訪・永山地区では、陸の孤島と言われる状態が出現し、大問題となり、多摩市は第2次住宅建設に向けて、直ちに@鉄道新線の乗り入れA総合病院の開設B行政境界の整理C自治体財政への支援の4条件を提起します。順次、問題解決を図る中、突如1973(S48)に聖ヶ丘地区を「誘致業務用地区」にするよう市議会の意見書が出されます。多摩市の強い意志を感じ、真剣に財政問題を解決するために、1年間かけて検討し1974(S49)には行財政要綱の制定により、新開発方針への大転換が行われました。

新方針に基づき、約5〜6年のブランクを経て、1976(S51)〜1977(S52)年に貝取・豊ヶ丘地区の第2次入居が行われましたが、第1次入居から第2次入居までの間にはオイルショックがあり、すでに一世帯一住居は実現していました。その結果、第2次入居では不景気とは言え、全くの空き家だらけの結果になってしまいました。どうやら時代は”量”から”質”へと転換していたようです。

中興期は量から質への転換を図り、都市らしい複合的な魅力の創出が課題でした。そうした中で一大エポックとなったのが「タウンハウス諏訪」でした。空き家が問題であった時期に応募倍率が20〜150倍(平均60倍)という人気で、他の団地の空き家も解消してしまいました。この経験で、大量に残っている土地もいいものをつくれば売れるという自信ができ、鶴牧・落合の基幹空間と一体となった住宅地、むかしの風景やせせらぎの復元を目指した蓮正寺・長池地区、さらにベルコリーヌ南大沢へと展開していくことになります。南大沢は東京都の開発地区ですが公団の住宅建設部門が、内井昭三氏をマスターアーキテクトとして複数の著名な建築家と調整しつつ行った団地です。

稲城地区は都県をまたがった分水嶺がネックとなって事業が遅れていましたが、三沢川分水路トンネル工事(1978〜83)により活路を見出し、向陽台、長峰、若葉台と土地買収から18年を経て開発が進展することになり、遅れた分だけ魅力的なまちづくりができる結果となりました。

集合住宅ばかりではなく戸建て住宅も必要だという認識が高まり、多摩市域や八王子、稲城でもニュータウン独特の緑の環境形成を目指した、先進的な戸建て住宅地づくりが進められました。

街の魅力づくりのためには都心のような中心性を有した高次の盛り場的な空間が必要であり、多摩センター地区を多摩ニュータウンのセンターとして位置付け、それにふさわしい機能立地や空間づくりを行うことになります。

事業着手から15年目、多摩センターオープン1周年の記念事業として、80万人を集め25日間ファインコミュニティフェア’81を開催し、これを契機にデパート、ホテル、アミューズメントなどの広域施設の誘致に奔走することとなります。2年後のガーデンシティ多摩’85に継承され、イベントなどソフト面にも力を入れることになりました。

デパート、ホテル、レジャー等を三位一体として、一挙に進めることとし、一方、多摩市にリーダーシップをとってもらい、複合文化施設「パルテノン多摩」を建設します。サンリオは配送センターの立地意向を示していたところを、多摩センターに記念事業として「ピューロランド」を建設することになりました。また、恒久的な建物だけでなく暫定的な建物も容認し、パティオや映画館なども立地しました。

成熟期はベッドタウンから「自立都市」への脱却がテーマとなります。首都圏整備計画では、1999年に多摩が業務核都市に加えられ、「八王子・立川・多摩業務核都市」として位置付けられます。多摩ニュータウンの広域拠点性を充実するため、京王線、小田急線の延伸、多摩都市モノレールの整備が進められます。

多摩市議会要望の自主財源確保のための産業誘致策として、永山駅周辺の業務施設誘致を進め、永山サービスインダストリー地区では新住法の制約の下で、「住居地域」に「特別業務地区」を指定し、大臣認可で建築基準を緩和する措置をとりました。さらに多摩センターや尾根幹線沿道での業務施設の集積も進み、新住法改正により「特定業務施設の導入」が可能となったこともあり、産業誘致が大きく進展しました。

多摩市以外でも八王子市南大沢地区にはアウトレットモールのほか都立大学も立地し、稲城市若葉台地区には大型特殊専門店やテレビ朝日のスタジオ、アルソックなどの業務施設の立地も進んでいます。

多摩センターの西方の島田療育センター周辺には東京都多摩南部地域病院やあい介護老人保健施設などの高次医療福祉拠点が形成されています。また、多摩ニュータウン内外には都立大学、多摩大学、国士舘大学、大妻女子大学、恵泉女子大学、多摩美術大学、中央大学、明星大学、帝京大学などの多くの大学も進出しています。

新住地区以外では谷部や既存集落周辺で土地区画整理事業による整備が進みましたが、これにより新住地区では限界のある、地権者主体の”何かが現れる楽しみな”街が実現しています。町田市域の相原小山地区も、新住事業の限界を見事に救っていると言えます。

ここからが、今日の話で成瀬さんが最も言いたかった内容、「多摩ニュータウン開発事業の”成果”の検証」です。多摩ニュータウンは初期の東京への人口流入時代に廉価な住宅を大量に供給するという目標に対しては、必ずしも適切な対応ができなかったが、当時の多摩丘陵のスプロール防止という点では効果があったといえます。さらに、都心から郊外へと延びる都市軸の形成を先導し、第4の山の手と呼ばれるような新しい生活文化のニーズを呼び込んでもきました。

元東京都職員の霜田宣久氏が作成されたデータをもとに、成瀬さんが大胆な推測を加えて推察され、検証されたものを紹介します。多摩ニュータウンの事業開始から40年間に投資された費用は、土地開発に3兆円、建物等建設に7〜9兆円、あわせて10〜12兆円となり、これはニュータウンに住む1世帯当たり1.5億円になるということです。一方、資金の内訳は用地・工事関連費が1/3、郵便貯金への利息が1/3、その他の公共施設整備負担金が1/3ということで、郵便貯金の利息の支払いを通じて、広く国民にニュータウン開発の利益を還元しているとも言えるというのが成瀬さんの理屈です。

計画目標の達成という観点では、人口目標30万人に対して現状は22.4万人ですが、世帯数は7.8万戸の目標に対し現状は10.2万世帯と大きく上回っています。これは戸当たり人口が3.85人/戸から現状では2.19人/戸と低下しているためであり、住宅の供給という面では十分に目標を達成できています。

従業人口は5.1万人の目標に対し、現状は10万人と目標の2倍に達し、すでに昼夜間人口比も1.0を超え、流入増となっています。

一方、商業集積を見ると、2014年データで多摩センターの商業床5.1万u、販売額331憶円で、目標としていた立川、八王子並みの床面積の半分、販売額では1/3以下という状況です。駅乗降客は2018年に多摩センターは17.9万人あり聖跡桜ケ丘の3倍となっており、このポテンシャルを十分に生かし切れていないといえます。

多摩市の財政事情を見ると、土木費や教育費はニュータウン開発の終了とともに急減、一方で民生費が大きく伸びており、財政余力を福祉等の社会保障費に充当していることが分かります。大胆な試算をしてみると、多摩市の固定資産税・都市計画税161憶円のうち、住宅系が63億、産業系が98億と6割を占めています。産業や企業に対し税収が十分に還元できているのか疑問です。多摩市は全国でも20市程度の恒常的不交付団体の一つであり、決して財政が逼迫している都市ではありません。

多摩ニュータウン再生の課題は、引き潮時代の日本で潮溜まりになれるか、オールドタウンになってもゴーストタウンにならずに済むか、若者にとって住むに値する街になれるかということではないでしょうか。近隣センターの疲弊に対しては、単にモノを売る場ではなく、製造販売、福祉事業所、SOHOの場などを模索することも必要です。ニュータウンを魅力あるものにするためには多摩センターを魅力的にしなければなりません。一度毀損したものを回復するのは困難です。都市間競争に打ち勝つには住民の努力だけでは困難であり、公的な力を投入することが必要です。産業系の固定資産税・都市計画税の一部でも多摩センターの活性化のために投入できないものでしょうか。

初期入居地区では建替えも一部では進んでいますが、今後はRC建物の長寿命化技術も進展し、100年住宅、200年住宅や長期的な住宅需要も見据えていく必要もあります。

意見交換では、京王プラザホテル撤退後の活用策、パルテノン大通りと中央公園の使い方、ニュータウンの維持管理費や残された優れた資産の維持方策、自治体を超えたまちづくりの単位の考え方などの議論がなされました。

また、今回の成瀬さんの話の内容は、木曜サロンだけではもったいない、ぜひパルテノン小ホールなどで、広く市民の皆さんに聞いていただけるような機会を設けてほしいという声も寄せられています。

多摩ニュータウンの着想から今に至る70年超の歴史と今後の話まで、1時間30分かけて話していただきました。成瀬さん、大変ありがとうございました。

2023.9.30[Sat]記載)


第167回(2023年7月22日)

■テーマ: 「オープンした多摩市立中央図書館の特色〜建設構想から運営まで〜」
■講師: 萩野 健太郎(はぎの けんたろう)さん( 多摩市教育委員会 教育部 中央図書館整備担当課長 )

萩野さんは、IT関連の民間企業を経て平成20(2008)年に多摩市役所に入庁されました。これまで庁内システム管理部門など主にIT関連の部門に従事され、平成31(2019)年度から図書館整備をまかされ、基本設計が始まったころから現在にいたるまで担当されています。

多摩中央公園の一角に、地形を生かして地上2階、地下2階の4層構造の延べ床面積5437.47平米の建物が建設されました。都市公園内に建設したため、建設費には都市計画税を充当しています。地上の2階層は一般に開放される閲覧室等、地下の2階層は書庫、事務スペース、駐車場等となっています。

2階は中央公園の大池に面するレベルにあり、おしゃべりも楽しめる「広場系開架」とし、一般開架と子ども向け開架、おはなしのへややカフェ、有料で団体利用も可能な活動室も設置しています。おしゃべりを楽しめる工夫として、公園の雰囲気を醸し出す鳥のさえずりのBGMを流しています。また、多摩市に暮らしておられた絵本作家の渡辺茂男さんのコーナーとして、代表作の「もりのへなそうる」から名前をとった「へなそうるのへや」も設けています。

1階はレンガ坂からの玄関口になり、静かな環境で研究や読書ができる「静寂系開架」とし、閲覧学習室のほかに静寂読書室、個人研究室、10人程度で利用できるグループ研究室も設置しています。玄関を入ると目につくのが、階段風の「ステッププラザ」です。座って読書もでき、本のディスプレイなどをしていますが、この空間で講演会や子供たちへのお話しなどの多様な使い方ができそうです。ステッププラザの横には1階のレンガ坂から2階の中央公園に通り抜けることのできる階段とエスカレータが設置されています。

収容可能な蔵書数は約60万点で現在は40万点とまだ余裕があります。移転前の本館の蔵書数20万点の3倍の蔵書数となります。また、建物は消費エネルギーを50%以上削減する「ZEBReady」の認証を受けており、建設で伐採された樹木を館内の家具等に有効利用するなどの環境への配慮も行われています。

団体登録をすれば有料で市民活動に使える活動室、カウンターにお申し出いただければ使えるグループ活動室、多様な使い方を提案できそうなステッププラザなど、市民の利用の利便性にも工夫が施されています。

2016(H28)6月から2017(H29)3月にかけて、柳田邦男氏を委員長とする基本構想策定委員会を設置され、そこで、「知の地域創造」というビジョンが提唱されました。”豊富な資料で市民の「知る」を支援し、知的インフラの側面から市民による地域づくり・まちづくりを支える拠点”としようというものです。

基本構想作成の後、それまでに検討されていた建設予定地が変更され、基本計画の策定は2018(H30)2月から8月にかけて行われました。基本計画をもとに設計業務のプロポを行い、基本設計・実施設計は2019(H31)2月から2020(R2)5月にかけて行いました。設計の主要なポイントとしては、充実した開架、市民が交流できる広場スペースの確保、市内の図書館ネットワークを支えるバックヤード機能と地域奉仕機能の充実、環境配慮型の建築というものでした。

建設工事はコロナ禍の中で進めることへの疑問もありましたが、市民待望の施設でもあることから、2021年(R3)3月から2023(R5)3月にかけて行われました。総工費約45億円でした。建設工事と並行して、中央公園の伐採した樹木を有効活用するため、多摩グリーンボランティア森木会やグリーンライブセンターの協力のもと「中央公園のみどりの記憶をつなぐプロジェクト」を実施しました。ほかではあまり例のない取り組みとして、市民や子供たちと一緒に「樹木伐採起工式」を行い、伐採木を活用した木のおもちゃづくりやミニ本棚づくりなどの木工体験や炭焼き体験、樹木観察会や植樹体験会などのイベントのほか、図書館内のテーブル、ベンチや木のしおりづくりなどを行いました。

中央図書館の開館と同時に、運営中の図書館本館からの移転作業や本館閉鎖なども進め、市民の提案による本館閉館イベントとしてナイトライブラリーも行った後、2023(R5)年5月7日の17時で本館が閉館されました。

2023(R5)年7月1日、雨の中でしたが開館記念式典を行い、11時に中央図書館の開館に至りました。初日は11,000人、翌日も10,900人の来館者があり、市民の期待の大きさが感じられます。

今年は、多摩市立図書館設立の50周年にもあたります。その関連イベントの企画も進められているところであり、「知の創造拠点」としてまちづくりに活用していく図書館をめざすということです。

基本設計・実施設計を担当した佐藤総合設計事務所の河田健さんは、当たま・まちせんの理事でもあり、設計に携わった立場からのコメントもいただきました。地形に沿って造成することで極力排出土を少なくし、結果として円弧状の建物となったこと、公園の中の図書館として、あまり目立たない、公園に開かれた空間をめざしたこと、建設前のレンガ坂から公園にアプローチする園路の記憶を施設内の取り込み、ステッププラザを通じてレンガ坂から直接中央公園に抜けられる構造としたことなどの話を聞くことができました。

「中央公園のみどりの記憶をつなぐプロジェクト」の仕掛人でもある祐乗坊さんも参加されていて、企画の発想から実施に至るまでのお話しや、中央公園の伐採木から、さらに街の伐採木の活用にまで企画を練られていることなどもお聞きできました。

多摩市の図書館には、URから引きつがれた多摩ニュータウンの様々な計画・検討資料や膨大な図面資料のほか、ニュータウン開発に深く関わってこられた成瀬氏の個人所有の資料なども集まっています。これらは一部は整理され公開もされていますが、まだ未整理の資料も多くあるようです。これらのニュータウン関連資料の整理や活用など、まちづくりに関わる市民や市民グループと一緒にできることもあると感じました。

(2023.7.28[Fri]記載)


第166回(2023年5月18日)

■テーマ:「まちづくりに求められる若者たちが思うことと、やりたいこと」
■講師:高木 康裕(たかぎ やすひろ)さん( 合同会社MichiLab 業務執行社員(本業は証券会社・IT企業の人事・事業企画職))

高木さんは多摩市出身の3人の子育てに奮闘中の39歳ということです。都内IT企業および証券会社に勤務する傍ら、合同会社MichiLabの業務執行社員もやられ、多摩市の子ども若者総合支援条例策定の市民委員や第六次総合計画審議会の委員にも名前を連ねられるなど多忙な日々を送っておられます。

多摩市若者会議には設立当初から参加され、合同会社MichiLabは以前木曜サロンでも話題提供していただいた高野義裕さんを代表に高木さんとの二人のコンビで運営しておられます。

本日の会場の未知カフェ(MichiCafe)は若者会議に参加していた学生の発案を実践、事業化したもので、若者の交流拠点、地域や企業との交流拠点、まちづくりの活動拠点をコンセプトとして運営されています。設立資金はクラウドファンディングで215万円を集め、DIYにより手作り感一杯の雰囲気になっています。開店の1年目にコロナ禍に遭遇し大変苦しい時期をしのいで来られましたが、幸い比較的廉価な家賃でランニングコストを抑えながら運営を続けておられます。

普段は高木さん自身が店長をやっておられますが、1日店長方式でだれでも店長として、提供するメニューやイベント・展示などの企画、運営も自由にやれるということです。小学生向けのプログラミング教室、ヴェルディやベレーザのゲームのパブリックビューイングなどのイベントやモバイル屋台で地域のイベントに未知カフェの出前出店などの事業を手掛けておられます。若者会議としては多摩市の遊歩道や公園のGoogleストリートビューの撮影もやっておられます。

若者会議の活動も、市の事業としての若者会議が3年、MichiLabに運営主体を移して4年と7年になりますが、主な活動としては、未知カフェの運営、メンバーの提案による事業などの自主事業と、多摩市や地域の団体からの受託事業があります。自主事業に力点を置きたいところだが、実態としては受託事業により資金を賄っているのが実情だそうです。自主事業は主に身内だけの事業であり、やりたい人に任せることになるが、受託事業は対外的な責任もあるのでコアメンバー、主要メンバーが中心となって実施しているそうです。

若者会議には10代、20代から30代まで、小・中学生、大学生、社会人と幅広い世代の若者が参加されていますが、多くの若者に共通するのは事故は確立して七敷きも豊富だが集団の中での自己表現が苦手。提案力・発想力はあるが実践したり、実現に向けた調整は不得手。ITリテラシーは高く使いこなす能力はあるが、他者と協力して物事を進めることが苦手。といった特徴があるようです。

高木さんたちは、参集する若者たちに、異なる人たちとの対話を楽しんでほしい。意見の違いや他人との相違を個性として認識し、自分に自信を持ってほしい。失敗を恐れずチャレンジしてほしいと、期待を込めて励ましておられます。

7年目を迎え、市内のいろいろな団体からの声掛けや協業の話も来ているそうで、地域に興味を持つ若者が気軽に参加できる場所であり、それぞれの興味を育み、各自が求める地域活動に参加できるきかっけとなるような場としたいということです。未熟で稚拙な部分もありメンバーの成功も失敗も含めて地域や関わっていただいた人たち若者会議は育てられている。今後は高木さんたちの次の世代の若者に、地域の人たちに信頼されるように育っていってほしいと、若者会議を卒業するに当たっての思いを語っておられました。

高木さん、興味深い話をありがとうございました。また、代表の高野さんには自ら機器を操作していただき、スムーズなハイブリッドでのサロンを実施することができましたことを付記しておきます。ありがとうございました。

(2023.5.26[Fri]記載)


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