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第172回(2024年5月16日)

■ テーマ:「素晴らしき団地ワールド」
■講師:金丸典弘(かなまる よしひろ) さん(だんちぐみ(団地再生事業協同組合)代表理事)

金丸さんは多摩ニュータウン豊ヶ丘団地育ちの団地っこで、金融業界からバブル崩壊後に建設・不動産業界に転じ、20年間にわたり”建築家と唯一無二の空間をプロデュース”するという仕事をされてきています。住宅から施設、オフィス、店舗など幅広く手掛けておられます。また住宅リフォームのコンクールに応募して優秀賞をとられたり、国のマンションストック長寿命化等モデル事業に、「既存マンションの上部増築による、サービス付き高齢者向け住宅導入」をテーマにして採択されたりと、住宅や団地のリフォーム、リノベーションを通して、可能性を探求し提言しておられます。

2013年に、「団地再生事業協同組合」を設立され、建築・不動産事業者を組織し、建築家・クリエーター・個人投資家らとともに、団地の再評価や流通促進に取組んでおられます。

金丸さんは、実は木曜サロンは2度目の登壇になります。7年前の2017年の5月、第132回の木曜サロンで、「空き家のバリューアップで、団地に次世代の家族を呼び込む」というテーマでお話していただきました。本日のサロンはその延長上のさらに進化した取り組みを聞かせていただくことになりますが、当時の話題を軽く振り返っておきます。

7年前は「団地の空き家をお宝にかえる取り組み」という話題で、500万円程度の団地の空き家を買い取り、デザインリノベーションによって、付加価値をつけ、市場より2,3割高い1500万円程度で流通させるという話をされました。

当時話されたキーワードとして、FⅼowからStoⅽkへ、住みながら進化する中古市場の広がり、リフォームからリノベーションへ、多様性が認められる社会、モノからコトへ、価値の共有、ミレニアル世代がマーケットを主導するなどのことをあげられています。若い人たちの暮らしや価値感として”快適に引き籠る””ゆるく繋がる”ということがあり、共働き、在宅ワーク、副業、生涯独身などが当たり前になってくる時代がきていると指摘されていました。

当時からすでに団地再生が社会的な課題となっており、再生の手法はなかなか見いだせない状況でした。その中で、さし込む光とか、風通し、つながり、安心・安全、暮らしやすさなどの五感で感じる団地特有の価値を市場化できないかということを感じ始めていたということでした。

フローからストックへという流れのなかで、住宅ストックの流通促進のための新しい金融商品のアイデアとして、国交省の補助事業に採択されたのが「ミレニアル世代に向けた団地を買いやすくする金融商品」の提案でした。これまでの不動産評価の通念から脱却した、暮らしの豊かさにつながるような団地の良さを価値化できる評価を加えた、新しい不動産評価の軸を構築すること。「優良団地認定」のような、いい団地を認定するしくみ。若い人が団地を買いやすくするような残価設定や買取保証のようなしくみづくり。などを提案されています。

ここからが本日の話になりますが、先述の評価軸の発展形として、「Danchi-Score100」という団地の新しい評価軸。一定水準以上の評価の団地を認定する「三ツ星団地」。さらにこれからの団地を支える人たちという3つの柱でお話ししていただきました。
「Danchi-Score100」は、団地のもつ強みや課題を「見える化」し、管理組合や住民が健全な団地運営に必要な取組みを知るための評価ツールとなるものであり、一定水準以上の良好な団地を「三ツ星団地」として認定し、管理組合等においては、団地の将来像の検討等に役立てることができます。評価項目は、ハード・ソフト100項目から構成し、100点満点で評価します。団地の環境要件として、「敷地や屋外空間の環境」「団地運営・経営」「地域社会・コミュニティ」、住戸・住棟の基本要件として「専用部の居住環境」「住棟共用部の居住環境」などについて、「1基本性能やそのポテンシャル」、「2基本性能やその維持管理活動」、「3快適性・居住性を保つしくみ」、「4ゆとりや拡張性、将来性など」の4つの評価軸(観点)を定めています。

評価の結果は、わかりやすくビジュアル化したグラフなどで示し、優れている点や劣っている点、レベルはどの程度かといったことが容易に判別できることを目指しています。
団地評価システム「DANCHI-SCORE100_Ver2.0(2023)」をリリースし、客観的に評価するためのマニュアルも作成されています。今後、管理組合にピーアールして行くうえで、一緒に活動してもらえる協力団体を募集しているところだそうです。

管理組合に働きかけて、団地評価を行い、「三ツ星団地」となった団地も出てきているそうです。「三ツ星団地になろう!」というピーアール動画も用意していただいたのですが、通信環境の関係で残念ながら動画の閲覧はできませんでした。

次の話題は、「団地を支える人たち」です。
金丸さんの事業は、団地の住戸を取得し、リノベーションして売却するものですが、通常のリフォームと違い、リノベ費用は相当額になります。この費用の捻出に金融機関は金を出してくれない。そのため「Renovation Fund」をつくり社債を発行して個人投資家から出資してもらう仕組みを作っているそうです。

また、これからのマーケットを主導するのは、Z世代だとおっしゃっています。1990年代後半〜2012年頃生まれのZ世代のマーケティングのポイントは、

•スマホやSNSを常に利用するため、デジタルでアピールすることが重要。文字より音声やアニメなどを使ったほうが受け入れられやすい。

•その一方経済的に保守的な傾向も見られ、 コスパやタイパを重視するため、商品・サービスを利用するメリット、費用を支払うだけのメリットを明示することが大切と分析されています。

金丸さんたちのリノベ住戸の購入層は若い独身女子が多いそうです。また団地再生支援協会の女性メンバーば「団地女子会チーム」を結成して、精力的な活動をされているそうです。彼女たちの話題の中で、「団地再生」は「男子再生」だという言葉が出てきたそうで、まさに同感でした。団地女子会のロゴは”女””子”をくっつけて団地”好”会としているそうです。

最後に紹介していただいたのは、鶴川団地のセントラル商店街の最近の様子です。ここでは空き店舗に若いクリエーターの方たちが出店しており、個性的な古着・雑貨店、カフェ併設の骨とう品店、外装は一見貧弱ながら内装はおしゃれなホテルなどが生まれており、面白い商店街に変容しているようです。

これからの団地再生は、z世代の若い人たち、団地に興味を持って新しい暮らしを始めようとする若い独身女性、商店街を元気にする若いクリエータの人たちなどを巻き込んでいくことで、可能性が生まれてくるのかもしれません。

懇親会では団地女子会や男子再生でとても盛り上がりました。金丸さん、お忙しい中、また急な要請にもかかわらず、講演をお引き受けいただきありがとうございました。

2024.5.25[Sat]記載)


第171回(2024年3月21日)

■ テーマ: 『団地・マンションの温熱環境改修』〜補助金・助成金利用で外断熱改修を実現〜
■講師: 金子 勲(かねこ いさお)さん(株式会社A&Cサポート金子勲一級建築士事務所、日本外断熱協会正会員)

金子さんは、団地・マンションの省エネ改修の設計・管理・コンサルタントの仕事をしておられます。外断熱化を進める仕事に携わる以上、自らも外断熱住宅を体験する必要があると、たま・まちせんが手掛けた外断熱のコーポラティブマンションである「永山ハウス」住居兼用の事務所を構えておられます。

金子さんには2018年5月の第138回の木曜サロンにおいて、「住宅等の省エネ対策やリノベーションについて」というテーマで、ご自身が手掛けられたパッシブハウスや省エネリノベーションなどの実例を紹介していただいて以来、6年ぶりになります。

近年、国や東京都などでも住宅においても温暖化対策として、温熱環境を改善するため外断熱化を進めようとしており、そのための補助金制度や助成金制度が充実してきています。金子さんは中古マンションの外断熱化や省エネ改修を促進するため、これらの補助金・助成金を活用することに早くから着目され、管理組合に対する支援業務を多く手掛けられるようになりました。

まず省エネ改修とはどういうものか、いくつかのステップに分けて説明していただきました。
ステップ1は開口部の改修で、窓や玄関ドアなどのカバー工法による取替えです。共用部の改修が難しい場合には、内窓設置や断熱ガラス(スペーシア、ペアガラス等)への交換を行うこともあります。

ステップ2は屋根の断熱改修で、既存の断熱材にさらの断熱材を付加し塩ビシートで覆います。ステップ3が外壁の断熱化(外断熱)です。ステップ4は床下の断熱化(ウレタン吹付)。ステップ5はその他として、熱交換換気扇などの換気設備改修、太陽光発電・給湯、蓄電池やEVへの対応などもあります。

さらに、現状の住まいでできることとして、エアコンや給湯器、照明器具、家電などの省エネ化。また夏の日射の遮蔽や冬の日射の取り込み対策などもあります。

すでに皆さんご承知の方も多いと思いますが、外断熱工事のメリットとしては、ます第一にコンクリートの劣化を抑えることができ、建物の寿命が延びることがあげられます。二番目としては、建物のコンクリート躯体が外気温の影響を受けにくくなるので、冬は暖かく、夏は涼しい室内の温熱環境となります。その結果、電気代の節減効果、脳卒中やヒートショックの防止などの健康対策、夏には熱中症の防止にもつながります。

第三は、長期的にみて建物の維持管理費の抑制につながります。塗装などの修繕対象の減少や修繕工事の周期の延長などが期待できるほか、個人のレベルでは光熱費や医療費の抑制効果も期待できます。

四番目としては、省エネ改修に対して、内容に応じて国や東京都、多摩市などの様々な補助金制度があり、修繕工事の内容に合わせて、これらを組み合わせて活用することで、実際には工事費の4割程度まで補助金を獲得できた団地もあるそうです。

金子さんの現在のお仕事は、これらの多様で複雑な補助金制度を、各団地・マンションの大規模修繕工事の内容や規模、組合や住民のニーズなどを調整しながら、最大限管理組合のメリットとなるよう補助金を活用した修繕工事を支援することにあります。

一方で、デメリットもあります。管理組合の合意形成のためには、メッリトと同時にデメリットもしっかりと説明し、それを上回るメリットがあるということを理解していただくことが重要だと強調されています。

デメリットには、高価な工事費用、長期的は回収できるとしても光熱費だけで考えると30年はかかる。工事期間が長くなることもあげられます。また断熱材で表面を覆うため、外側から躯体を確認できなくなり、大地震時のクラックや漏水の原因確認などが外側からできないことになります。ほかには国内の実績不足や断熱材が不燃性でないこと、表面強度が弱いため、階段室などでは損傷の可能性もあることなどがあげられます。

金子さんが手掛けられた、補助金を活用した省エネ改修の施工事例をいくつか紹介していただきました。

@ビスタセーレ向陽台(1993年建設、築30年 7棟160戸、5〜6階)
大規模修繕、給排水管更新、外断熱 工期2020.5〜2021.1
補助金受給額:1憶2500万円(工事費の28%)
(参考記事 マンションタイムズ2020.11.1.、2020.12.1 建築知識2022.9)

Aエステート貝取-2(1983年建設、築40年 14棟293戸、3〜5階)
大規模修繕、給排水管更新、サッシ・玄関ドア改修、外断熱
工期2021.5〜2023.1
補助金支給額
・長期優良住宅化リフォーム推進事業:2億930万円
・多摩市優良建築物整備事業:1億4,650万円
合計:4億3,950万円(工事費の約30%)
(参考記事 朝日新聞2023.1.4 日経アーキテクチュア2022.7.28 日経TEWCH2022.7.28 建築仕上技術2022.9 マンションタイムズ2021.9.12 住宅新報2023.3)

B花見川住宅(1968年建設、築55年 40棟1530戸、5階)
大規模修繕、外断熱 工期2021.4〜2024.1
補助金受給額:8憶2200万円(工事費の27%、外断熱工事の85%)
(参考記事 日経TEWCH2022.1.31 日経アーキテクチュア2022.7.28 朝日新聞2023.1.4 )

C他に都心部の単棟型マンション、習志野市のマンションの事例

各事例の特徴や特に外断熱工事における工夫や様々なディテールの問題点、補助金獲得のための工程上の工夫など、詳細に説明していただきましたが、詳しくご紹介できず残念です。それぞれの事例が掲載された雑誌。新聞等の記事を記載しましたので、ぜひ参考にしてください。

最後に、金子さんの経験から”外断熱改修はなぜ普及しないか”という分析を話していただきました。

・日本の省エネに対する基準が低く、みな我慢しているのが現状
・工事費が高く、大規模修繕でも予算が不足すると初めに外断熱が除外される。
・住民の高齢化や外断熱に対する理解不足から合意形成が困難
・認知度を上げるための、行政、施工会社、設計事務所、管理組合等への広報が不足
・経験や実績が不足しており、ノウハウや定量的なデータが無い
・既存建物は内・外の2重断熱となり、施行の収まりの困難さ、合意形成や補助金等の獲得のための雑多な業務が多い
・国や自治体等の補助金の不足や外断熱に対する補助の薄さなど、外断熱促進のための制度上の不備
・新築施行会社、大規模修繕工事業者、設計事務所などは外断熱の専門性が低く、煩雑な業務を敬遠しがち

金子さんの悩みや仕事上の苦悩までも想定される多岐にわたる内容でした。自分自身の団地に照らしてみても納得してしまうことが多くありました。

質疑応答の中でも、実際に外断熱を実施したものの、想定した補助金が下りず、北面など一部分の外断熱しか実施できなかったという例や、乾式外断熱を実施したが、工事中の騒音がひどくとても我慢できるものではなかったという例など、外断熱工事に踏み切った団地においても、様々な問題があることがわかりました。

金子さんは補助金獲得実績がほぼ100%ということであり、外断熱及び実施にあたっての補助金・助成制度などの経験や知識、人的ネットワークが豊富で、これから実施を検討する団地・マンションにとってはとても心強い味方になると思います。団地間の補助金獲得競争のような状況も生まれてきており、国等の施策動向や補助金関連の情報もとても気になるところです。

金子さん、お忙しい中、ありがとうございました。

2024.3.31[Sun]記載)


第170回(2024年1月18日)

■テーマ: 『人が集う、都市農地』 〜“農”が持つ魅力と力とは
■講師: 舩木翔平(ふなき しょうへい)さん(八王子市議会議員、認定農業者)

舩木さんは、2010年に東京農業大学を卒業された後、2012年に八王子市で新規就農されました。当時、鈴木亨さんの牧場跡をかりて、YUGI MURA Farm"おっさん牧場"を立ち上げ、株式会社FIOを設立されたばかりのころでしたが、”大学をでたばかりの農家とは無縁の若者が、新規就農して都市農業に新しい風を起こそうとしている面白い人がいる”ということで、話を聞いてみようと2013年2月の第86回木曜サロンで話していただきました。それから10年が経過し、2013年4月の八王子市議選で市議にも当選し、舩木さんの活動はどのように進化しているのか、とても興味深く話を聞かせていただきました。

舩木さんのこれまでの活動は、”都市”で農業を営む意味、農と人との関わり、都市の中の農地の在り方・・・を問いかけ、答えを追い求める活動のように思えます。2013年〜2017年の株式会社FIOは、若い農業仲間3人で、農産物販売、農業体験、農家連携などを目的として、野菜・ハチミツの⽣産販売、農業体験イベント企画運営などの事業を展開されてきました。2018年には一般社団法人畑会の設立に参加し理事に就任されました。

畑会は「畑での出会い」を提供し、農業経営や農を基盤としたコミュニティづくりを目指して、農業体験と農作物を使った料理を⾷べるイベント、研修事業&シンポジウムなどの事業を展開しておられます。また、ユギムラ体験農園(ユギムラ牧場)、もぐもぐファーム体験農園(小比企町)、八王子モーモー体験農園(磯沼ミルクファーム)などの体験農園サポートや援農サポートも行っています。

今後は、農地の有効活⽤のため、体験農園の仕組みを基本とした農園づくり、オーナーである農家が主役として、農園に関わる⼈達と共に⾃主的で持続的な運営のサポートを目指しておられます。

都市農業を守るためには、農業生産だけでなく体験農業や貸農園などのビジネス的な視点を持った人材が欠かせず、人材育成も重要な課題とのことです。畑会にもいろいろと相談が増えており、今後はさらに人的ネットワークを広げ、たくさんの人の希望や夢を実現できるような企画を進めていきたいということです。ご自身の出身大学のつながりも貴重なネットワークとなっているようです。

また、農地の賃貸借に関する法的な備えは十分とは言えませんが、市民農園・体験農園を開設するうえで、「特定農地貸付法」「市民農園推進法」などの法的な枠組みもできてきています。練馬区では、農家が開設する体験農園を推進し支援するため、「農業体験農園」の制度がつくられており注目されます。さらに、農家が安心して体験農園を経営していけるような、信頼関係を構築するための中間管理機構のような役割が必要ではないかと指摘されています。都市部における農業体験ニーズは高く、今後も交流の場や新たなコミュニティ形成の場として大いに期待されるとのことです。

畑会の活発な取組みが注目され、2022年度からは多摩市の農業公園構想推進のサポートも始まっています。農業公園構想は多摩大学の東側の連光寺・若葉台里山保全地域の拡張区域内の農地を、市民が農作業の体験や、体験を通じた交流・ふれあいなどを行うことができる農業公園として整備しようというものです。

多摩市は東京都の補助金を活用し、エリア内の生産緑地を買い上げ、2027年(令9年)のオープンを目指しています。2023年度にはプレイベントとしてサツマイモやジャガイモの植え付けから収穫までの体験学習も行われ畑会もサポートを担っているとのことです。
会場からは、農業公園近くの天王の森公園・八坂神社の貴重な近代歴史的スポット(明治天皇の行幸やその行幸をめぐる地域社会の動向など)も視野に入れたエリアの活用の提案もあり、今後の多様な展開が期待されます。

舩木さん個人としても、遊休農地の活用や都市農地を守るための活動もされています。
2017年には八王子市小比企町の1,000uの遊休農地耕作放棄地を活用し、イチジクの栽培を始められ、「東京イチジク」のブランドで販売しています。懇親会では、イチジクの収穫時期と議会開催時期が重なることの悩みも話されていました。

さらに、2022年に八王子市大谷町(通称ひよどり山)にある1,500uの生産緑地(市街化区域)を購入されました。サツマイモ作りや一部をひまわり畑として活用、地域の子どもたちや保育園児の来園もあるようです。資金的にも今後の税負担なども考えると、相当思い切った決断だったのではないでしょうか。

ひよどり山エリアは、20軒ほどの農家もありますが、都有地も多く2000年の三宅島噴火の際には、避難してきた島民が農業を営む「三宅島げんき農場」としても利用され、その後「とうきょう元気農場」が開設されて生産物は都内区部の学校給食の食材供給に充てられているとのことです。八王子市としても都市農地の利活用が期待できるエリアとして取り組んでいるとのことです。

”農”は農業生産、農を通じたコミュニティづくりなど多様性を秘めていますが、中でも教育的な意義も重要だと言っておられます。農水省においても農業体験の提供や生産者からの学びなどを目的として「教育ファーム」の取組を推進しています。

自治体の取組み事例の紹介もあり、市議の一員として視察された新潟市の「アグリパーク」は市の教育委員会に農業担当が配置され、農業体験学習の年間のカリキュラムを作成し、子供たちの農業教育が行われているとのことです。ほかにも、横須賀市の「地域の魅力体験サイトシテコベ」、小金井市の「わくわく都民農園」(JR小金井駅徒歩5分!)を挙げていただきました。

注)「地域の魅力体験サイトシテコベ」(横須賀市)・・・横須賀市の市議で起業家の嘉山氏が運営する「株式会社シテコベ」は、地域の魅力に付加価値を高めるため、農業体験や漁業体験などを行っています。シテコベとは三浦半島の長井弁で「やってみよう(してこべぇ)」という意味で、自然環境豊かな三浦半島で「漁業・農業体験などを通して、地域資源や魅力に触れてもらいたい」という思いから事業をスタートしたそうです。ファミリーから小中学校の団体まで、農業・漁業・酪農・里山自然体験などの季節に応じた三浦半島の楽しみ方を企画・創造しています。

注)「わくわく都民農園」(小金井市)・・・東京都が、生産緑地の貸借制度を活用して令和4年に開設されました。都市農地の保全、高齢者の活躍、多世代交流などを併せて進める事業で、東京都、運営事業者である(一社)小金井市観光まちおこし協会、小金井市、生産緑地所有者の四者で協定を締結し、協働により実施しています。農園の運営は「シニア農園」「学校農園〈共菜園〉」「福祉公園(農福連携)」「地域農園(地域・多世代交流)」「子ども農園(農体験による学び)」の目的別に5種類の農園を提供しています。

舩木さん、市議との2足わらじでお忙しい中、ありがとうございました。多摩市の農業公園の今後の展開や、舩木さんの様々な試みもこれから楽しみにしています。

(2024.1.30[Tue]記載)


第169回(2023年11月30日)

■ テーマ: 「植物から見た多摩ニュータウン」
■講師: 仙仁 径(せんに けい)さん(公益財団法人多摩市文化振興財団学芸員)

仙仁さんは、東京農業大学造園学科を卒業後は都立大学の大学院理学研究科で生物学を専攻され、博士課程では高山植物のDNAを通じて辿ってきた歴史の研究などにも携わってこられました。現在はパルテノン多摩(公益財団法人多摩市文化振興財団)の学芸員として、生物からさらに幅広く自然全般を担当されています。

NHKの朝ドラ「らんまん」では、多摩の植物も登場するので、植物考証の一部も担当されていました。本日は、“ニュータウン開発前後の植物と、その今と未来”という内容でお話ししていただきました。

開発前の多摩丘陵は里山として、雑木林、田、畑、カヤ場などに利用され、農作業を通じて自然に手を加え、維持されてきました。人々の暮らしが生物多様性を基盤とする生態系から得られる恵みによって支えられていました。多摩丘陵の雑木林はコナラ、クヌギなどの落葉広葉樹が主体で、その根元にはカタクリなどスプリングエフェメラル(春植物)という、春に芽を出し花が咲き、翌春まで休眠するという性質を持つ植物がみられます。

多摩丘陵固有種としてはタマノカンアオイ(牧野富太郎博士が発見し発表)やタマノホシザクラ(2004年に新種として発表)があります。前者は多摩丘陵を超えてやや広く分布していますが、後者は多摩、八王子、町田の限られた地域にのみ生息しています。

雑木林は十数年のサイクルで伐採とひこばえの成長が繰り返され、また下草刈り、落ち葉かきなど手が入ることで雑木林の生物多様性が維持されてきました。近年、燃料革命などにより薪炭需要がなくなることで雑木林の役割がなくなり、手が入らなくなって生物多様性も減少しました。カヤ場は役割とともに消滅しました。カヤ場はススキ草原を好む植物の宝庫で、以前は黄色に染まるほどのオミナエシが生えていました。マツムシソウやヤマトラノオも多摩丘陵では見られなくなってしまいました。

貴重種が生息する湿地や水辺もありました。多摩市の永山南公園あたりは岩ノ入池という湿地があり、モウセンゴケやトキソウが生息していました。八王子の長池には絶滅危惧種に指定されているサワギキョウやミズオトギリが生息しています。多摩地域の植物研究家である畔上能力(あぜがみちから)氏はこれらの保全の必要性を唱えられていました。岩ノ入池は残念ながら開発されてしまいましたが、長池は現在も長池公園として残されています。

開発に伴い、造成地の緑化が行われましたが、多摩丘陵は上総層群という海底で形成された砂や礫の多い硬い地層が造成で露出し、当初はクロマツやハリエンジュなどの乾燥や貧栄養に強い樹種が植栽されていました。

後になると既存樹木や表土の保存利用も行われるようになり、緑化の改善だけでなく、生物多様性の保全、他地域からの混入による遺伝かく乱の防止、土中に埋もれていた在来種の復活などの効果もありました。

大規模開発に伴う行財需要の高まりから、多摩市は行財政要綱を定め、開発主体の住宅都市整備公団(現、UR都市機構)と協定を結び、住区の30%はオープンスペース確保などの取り決めを行いました。また昭和40年代後半の環境問題への意識の高まりなどの背景もあり、開発に伴う緑地の保全や緑の環境形成が進められることになりました。貝取山緑地の保全や鶴牧・落合地区の基幹空間における連続した公園配置によるオープンスペースの確保、上之根大通りのモミジバフウなどの美しい街路樹の整備や街路樹の根元の緑化などがあげられます。また、ニュータウンの公園には、他ではあまり見られないような、シイモチ(東中野公園)、イスノキ(貝取北公園)などの樹種も植えられています。

一方、大造成に伴い外来種が多いのも特徴となっています。セイタカアワダチソウ(北米原産)、ブタナ(欧州)などがあります。タマノヤガミスゲ(北米)は、地域の愛好家に発見された非常に珍しいものですが、すでに消滅したようです。最近ではナガミヒナゲシ(地中海)が増えています。外来種の帰化率は多摩市では21.4%と他地域に比べ高いのが特徴です。(相模原市17.5%、秋田県14.4%)

多摩ニュータウンは豊かな緑の多い環境が形成されています。豊ヶ丘団地の住民の観察会のサポートも行っていますが、豊ヶ丘団地の緑地では96科、277種の植物が確認されています。一方で、多すぎる樹木や育ちすぎた樹木は、維持管理の上で問題も生じています。多摩市は街路樹の単位人口当たり本数が他自治体と比べて突出しています。また幹回りの太くなった樹木も多く、高木の剪定費用は大きな負担となっています。最近の街路樹はハナミズキのような大きくならないものや、ケヤキの品種“武蔵野”のような横張の小さい樹種が選択される傾向があります。

外来種が社会問題になるケースもあります。ハリエンジュという樹木は他の植物の生長を抑止する物質を分泌し、在来種を駆逐してしまいます。永山ハイツ斜面では、緑化で植えられたハリエンジュをすべて伐採しています。ハリエンジュは「日本の侵略的外来種ワースト100」「要注意外来生物」にも指定されているほどです。

また、松の老木の増加によりマツノザイセンチュウという昆虫がもたらす松枯れも数年前からみられます。カシナガキクイムシによるナラ枯れも多摩市でも3年ほど前から目立つようになっています。雑木林で炭焼きが行われなくなったことで老木が増えたのが大きな要因です。

人の手が入らなくなったことで雑木林の植生遷移もみられ、常緑樹が増加したり、アズマネザサが生い茂ったりといった生態系や植生の変化が顕著になっています。かつては管理することが収益の増加につながったのが、今では管理にコストがかかるようになってしまったことが要因と言えます。

一方で、在来種が戻ってくる事例もみられます。ニュータウン通りの中央分離帯にスミレの群落が復活していたり、クチナシグサなどの絶滅危惧種に指定されている植物もニュータウンの中で見かけます。開発から年月が経過し、周辺に残っていた在来種がニュータウン内に戻ってきているのではないかと思われます。

2020年に長池公園の長池の水を抜くカイボリを行ったときに、土の中に眠っている埋埋土種子から、東京都から絶滅したと思われていたジュンサイやユキノシタが復活したこともありました。永山南公園の地下にもかつての岩ノ入池に生えていた絶滅種の種子が眠っているかも知れません。ボーリングでこれらを復活させることが夢です。

エビネ、オキナグサ、タマノカンアオイなども、民家の庭で生き延びている例もあります。開発前から多摩市に住んでいる人の家の庭を軒並み調査できたら、思わぬ植物も発見できるかも知れません。

植物や樹木は適切な管理を行うことで、多様性が保たれます。しかしながらコストの問題があります。また、ニュータウンでも植生は徐々に変化しており、温暖化の影響も考えられるなかで、変化し続ける植物を記録することが使命だと仙仁さんは語っておられました。

普段、見過ごしがちな草花や樹木のとても興味ある話を聞かせていただき、これからニュータウンを歩く時の目の置きどころも変わってくると思います。

(2023.11.30[Thu]記載)


第168回(2023年9月21日)

■ テーマ:「たま・まちせん木曜サロンで14年ぶりに語る 多摩ニュータウン開発“成果”の検証」
■講師: 成瀬恵宏:鞄s市設計工房・代表<元・多摩ニュータウン担当公団職員>

成瀬さんは、14年前に「誰かが作ってくれた“お仕着せ”の人工都市『多摩ニュータウン』をもっと“普通の街”に..!!」というテーマで話をしていただいて以来の登場になります。

今回は、ニュータウン開発の着想期・中興期・成熟期の歴史的経緯の解説に加え、開発“成果”の検証を、住宅建設・施設建設や居住人口・就業人口・従業人口あるいは夜間人口・昼間人口そして各商業集積・各駅乗降客数さらには代表的な多摩市の自治体財政事情などの視点からお話ししていただきました。

まず、冒頭で、摩ニュータウンには多くの優秀な設計者が関わっていますが、それらを地図上にプロットした「多摩ニュータウンデザイナーズマップ」(多摩ニュータウン30周年記念事業のなかで成瀬さんが作成されたもの)を紹介していただきました。これをみると、いつ頃、誰が、どこの設計・デザインに関わったかということが一目でわかる資料になっています。

本日の資料は、前回の14年前のデータから、この間の様々な講習会や研究会での蓄積を踏まえ、新たな知見を加えて作成されたもので、今年の多摩市の「都市計画マスタープラン改訂特別委員会」で報告した内容と同じものですが、委員会では45分の駆け足で説明した内容をたっぷり90分かけて、説明していただきました。

本題に入る前に、成瀬さんご自身の多摩ニュータウンへの関りや、多摩ニュータウンのスケール感を都心山手線と、また多摩センター駅周辺を新宿駅周辺と比較しつつ、感覚的にわかりやすく紹介していただき、多摩ニュータウンの「1中2小」の住区モデル、立体的歩車分離による住区間の連携と都市の骨格づくりなどの特徴についての説明がありました。

本題の話は、多摩ニュータウン開発を、「着想期、中興期、成熟期」の3つの時代に区分し、それぞれの時期の諸課題やそれへの対応についての説明がありました。

着想期は、そもそも多摩ニュータウンがどういう目的と発想で始まったか、どういう問題や課題をはらんでいたか、どういうまちづくりを進めようとしてきたかといった、歴史的な話が主題です。

ニュータウン開発の発想は、大都市圏に人口が集中し、東京圏では年間30万人の人口が流入し、郊外へのスプロール的な拡散が顕著だった1960年代、東都知事の時代に始まりました、その後の3期12年にわたる美濃部都知事の時代にブレーキがかかることになります。その間に千里ニュータウンは完成してしまいます(1960年〜1970年)。

当時は爆発的な地価高騰の時代であり、ニュータウン計画も極秘のうちに始まります。当初の計画は、多摩弾薬庫から多摩村南部丘陵、町田市北部丘陵にかけての1600haに15万人規模で検討されていました。計画の責任者であった東京都の初代都市整備局長山田正男氏はニュータウンという言葉が好きではなく、「ニュートーキョー」と言っていたことや、極秘情報を嗅ぎつけた横倉舜三氏の陳情話などのエピソードも聞かせていただきました。

1963(S38)年に新住宅市街地開発法が成立し、ニュータウン開発が土地の全面買収方式で行うことが可能となる仕組みが出来上がります。開発計画は日本都市計画学会に委託されますが、実際には住宅公団に委ねられ、今野博宅地開発部長のもとに7人の有能な人材が集められ(「7人の士」と呼ばれていたそうです)、極秘裏に検討が進められ、「多摩ニュータウン開発計画1965−報告書」いわゆる当初マスタープランがまとめられました。その際に交通輸送計画を立案された八十島義之助東大教授は、多摩ニュータウンには鉄道が必要であり、沿線人口40万人あれば鉄道は成立できると提言され、これを受けて人口30万人に拡張され、区域も稲城町から、多摩町、八王子市(当時は柚木村)、町田市まで含むことになります。稲城は当時首都圏整備計画のグリーンベルトに含まれており、この結果を受けて、首都圏整備計画はすぐに崩壊することになったということです。

マスタープランでは、確実に予想される問題点として、施行者が2以上にわたることにより起こりうる問題、全面買収に伴う問題、都市スケールで開発することによる問題、複数自治体にまたがることによる問題など当初から想定されていました。用地買収を巡っては、地元住民から既存集落を除外する要望が出て多摩町議会も意見書を提出してきました。これに対して、集落除外を見越した自然地形案が検討され、東京都施行の愛宕・松ケ谷では自然地形案に沿った開発がされましたが、公団区域は中造成、大造成案などが検討されることになります。また、既存集落地は新住宅市街地開発区域から除外され、土地区画整理事業が導入されました。

1966年末に最初の事業決定がなされますが、半年後の1967年春には美濃部革新都政の出現によってストップがかかり、迷走することになります。東京問題調査会やロンドン大学のロブソン教授による提言など学者提言により学者知事の説得も行われました。

多摩ニュータウン開発の資金は、郵便貯金などからの借金(財政投融資)でまかなわれますが、用地買収を進めたものの、宅地処分ができないと膨大な金利負担が膨らむことになります。それ故に、宅地整備を急ぐ手法として、丘陵地の上部から試験盛土・仮設ダム工法による先行整備が編み出されました。

多摩町は学校等の先行投資により町財政が圧迫されることを懸念し、財政支援を訴えて住宅建設協議は難航します。町田市は「町田市団地白書1970」で団地進出による児童・生徒の増加は文部省基準をはるかに上回るという実態を明らかにし、団地進出拒否の姿勢を打ち出します。

そのような状況のなか暫定対応で決着し、突貫工事で諏訪・永山地区の初期入居6300戸が1970年7月〜1971年3月に実現しました。しかし、鉄道がないまま初期入居を行った諏訪・永山地区では、陸の孤島と言われる状態が出現し、大問題となり、多摩市は第2次住宅建設に向けて、直ちに@鉄道新線の乗り入れA総合病院の開設B行政境界の整理C自治体財政への支援の4条件を提起します。順次、問題解決を図る中、突如1973(S48)に聖ヶ丘地区を「誘致業務用地区」にするよう市議会の意見書が出されます。多摩市の強い意志を感じ、真剣に財政問題を解決するために、1年間かけて検討し1974(S49)には行財政要綱の制定により、新開発方針への大転換が行われました。

新方針に基づき、約5〜6年のブランクを経て、1976(S51)〜1977(S52)年に貝取・豊ヶ丘地区の第2次入居が行われましたが、第1次入居から第2次入居までの間にはオイルショックがあり、すでに一世帯一住居は実現していました。その結果、第2次入居では不景気とは言え、全くの空き家だらけの結果になってしまいました。どうやら時代は”量”から”質”へと転換していたようです。

中興期は量から質への転換を図り、都市らしい複合的な魅力の創出が課題でした。そうした中で一大エポックとなったのが「タウンハウス諏訪」でした。空き家が問題であった時期に応募倍率が20〜150倍(平均60倍)という人気で、他の団地の空き家も解消してしまいました。この経験で、大量に残っている土地もいいものをつくれば売れるという自信ができ、鶴牧・落合の基幹空間と一体となった住宅地、むかしの風景やせせらぎの復元を目指した蓮正寺・長池地区、さらにベルコリーヌ南大沢へと展開していくことになります。南大沢は東京都の開発地区ですが公団の住宅建設部門が、内井昭三氏をマスターアーキテクトとして複数の著名な建築家と調整しつつ行った団地です。

稲城地区は都県をまたがった分水嶺がネックとなって事業が遅れていましたが、三沢川分水路トンネル工事(1978〜83)により活路を見出し、向陽台、長峰、若葉台と土地買収から18年を経て開発が進展することになり、遅れた分だけ魅力的なまちづくりができる結果となりました。

集合住宅ばかりではなく戸建て住宅も必要だという認識が高まり、多摩市域や八王子、稲城でもニュータウン独特の緑の環境形成を目指した、先進的な戸建て住宅地づくりが進められました。

街の魅力づくりのためには都心のような中心性を有した高次の盛り場的な空間が必要であり、多摩センター地区を多摩ニュータウンのセンターとして位置付け、それにふさわしい機能立地や空間づくりを行うことになります。

事業着手から15年目、多摩センターオープン1周年の記念事業として、80万人を集め25日間ファインコミュニティフェア’81を開催し、これを契機にデパート、ホテル、アミューズメントなどの広域施設の誘致に奔走することとなります。2年後のガーデンシティ多摩’85に継承され、イベントなどソフト面にも力を入れることになりました。

デパート、ホテル、レジャー等を三位一体として、一挙に進めることとし、一方、多摩市にリーダーシップをとってもらい、複合文化施設「パルテノン多摩」を建設します。サンリオは配送センターの立地意向を示していたところを、多摩センターに記念事業として「ピューロランド」を建設することになりました。また、恒久的な建物だけでなく暫定的な建物も容認し、パティオや映画館なども立地しました。

成熟期はベッドタウンから「自立都市」への脱却がテーマとなります。首都圏整備計画では、1999年に多摩が業務核都市に加えられ、「八王子・立川・多摩業務核都市」として位置付けられます。多摩ニュータウンの広域拠点性を充実するため、京王線、小田急線の延伸、多摩都市モノレールの整備が進められます。

多摩市議会要望の自主財源確保のための産業誘致策として、永山駅周辺の業務施設誘致を進め、永山サービスインダストリー地区では新住法の制約の下で、「住居地域」に「特別業務地区」を指定し、大臣認可で建築基準を緩和する措置をとりました。さらに多摩センターや尾根幹線沿道での業務施設の集積も進み、新住法改正により「特定業務施設の導入」が可能となったこともあり、産業誘致が大きく進展しました。

多摩市以外でも八王子市南大沢地区にはアウトレットモールのほか都立大学も立地し、稲城市若葉台地区には大型特殊専門店やテレビ朝日のスタジオ、アルソックなどの業務施設の立地も進んでいます。

多摩センターの西方の島田療育センター周辺には東京都多摩南部地域病院やあい介護老人保健施設などの高次医療福祉拠点が形成されています。また、多摩ニュータウン内外には都立大学、多摩大学、国士舘大学、大妻女子大学、恵泉女子大学、多摩美術大学、中央大学、明星大学、帝京大学などの多くの大学も進出しています。

新住地区以外では谷部や既存集落周辺で土地区画整理事業による整備が進みましたが、これにより新住地区では限界のある、地権者主体の”何かが現れる楽しみな”街が実現しています。町田市域の相原小山地区も、新住事業の限界を見事に救っていると言えます。

ここからが、今日の話で成瀬さんが最も言いたかった内容、「多摩ニュータウン開発事業の”成果”の検証」です。多摩ニュータウンは初期の東京への人口流入時代に廉価な住宅を大量に供給するという目標に対しては、必ずしも適切な対応ができなかったが、当時の多摩丘陵のスプロール防止という点では効果があったといえます。さらに、都心から郊外へと延びる都市軸の形成を先導し、第4の山の手と呼ばれるような新しい生活文化のニーズを呼び込んでもきました。

元東京都職員の霜田宣久氏が作成されたデータをもとに、成瀬さんが大胆な推測を加えて推察され、検証されたものを紹介します。多摩ニュータウンの事業開始から40年間に投資された費用は、土地開発に3兆円、建物等建設に7〜9兆円、あわせて10〜12兆円となり、これはニュータウンに住む1世帯当たり1.5億円になるということです。一方、資金の内訳は用地・工事関連費が1/3、郵便貯金への利息が1/3、その他の公共施設整備負担金が1/3ということで、郵便貯金の利息の支払いを通じて、広く国民にニュータウン開発の利益を還元しているとも言えるというのが成瀬さんの理屈です。

計画目標の達成という観点では、人口目標30万人に対して現状は22.4万人ですが、世帯数は7.8万戸の目標に対し現状は10.2万世帯と大きく上回っています。これは戸当たり人口が3.85人/戸から現状では2.19人/戸と低下しているためであり、住宅の供給という面では十分に目標を達成できています。

従業人口は5.1万人の目標に対し、現状は10万人と目標の2倍に達し、すでに昼夜間人口比も1.0を超え、流入増となっています。

一方、商業集積を見ると、2014年データで多摩センターの商業床5.1万u、販売額331憶円で、目標としていた立川、八王子並みの床面積の半分、販売額では1/3以下という状況です。駅乗降客は2018年に多摩センターは17.9万人あり聖跡桜ケ丘の3倍となっており、このポテンシャルを十分に生かし切れていないといえます。

多摩市の財政事情を見ると、土木費や教育費はニュータウン開発の終了とともに急減、一方で民生費が大きく伸びており、財政余力を福祉等の社会保障費に充当していることが分かります。大胆な試算をしてみると、多摩市の固定資産税・都市計画税161憶円のうち、住宅系が63億、産業系が98億と6割を占めています。産業や企業に対し税収が十分に還元できているのか疑問です。多摩市は全国でも20市程度の恒常的不交付団体の一つであり、決して財政が逼迫している都市ではありません。

多摩ニュータウン再生の課題は、引き潮時代の日本で潮溜まりになれるか、オールドタウンになってもゴーストタウンにならずに済むか、若者にとって住むに値する街になれるかということではないでしょうか。近隣センターの疲弊に対しては、単にモノを売る場ではなく、製造販売、福祉事業所、SOHOの場などを模索することも必要です。ニュータウンを魅力あるものにするためには多摩センターを魅力的にしなければなりません。一度毀損したものを回復するのは困難です。都市間競争に打ち勝つには住民の努力だけでは困難であり、公的な力を投入することが必要です。産業系の固定資産税・都市計画税の一部でも多摩センターの活性化のために投入できないものでしょうか。

初期入居地区では建替えも一部では進んでいますが、今後はRC建物の長寿命化技術も進展し、100年住宅、200年住宅や長期的な住宅需要も見据えていく必要もあります。

意見交換では、京王プラザホテル撤退後の活用策、パルテノン大通りと中央公園の使い方、ニュータウンの維持管理費や残された優れた資産の維持方策、自治体を超えたまちづくりの単位の考え方などの議論がなされました。

また、今回の成瀬さんの話の内容は、木曜サロンだけではもったいない、ぜひパルテノン小ホールなどで、広く市民の皆さんに聞いていただけるような機会を設けてほしいという声も寄せられています。

多摩ニュータウンの着想から今に至る70年超の歴史と今後の話まで、1時間30分かけて話していただきました。成瀬さん、大変ありがとうございました。

2023.9.30[Sat]記載)


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