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第177回(2025年3月20日)

■テーマ:「 多摩ニュータウンで育った人の記憶の底に残る『原風景』」
■講師:大内 俊二(おおうち しゅんじ)さん(パルテノン多摩市民学芸員・元中央大学教授)

●はじめに
「原風景」という言葉はいろいろな意味で使われますが、ここでは「大人になって子供のころ(小学校低学年くらい)を思い出す時心に浮かぶ風景を核とした心象風景」とし、個人のアイデンティティの基礎となるものと考えておきます。

私は、個人それぞれの記憶の底に残っている「風景」がこの「原風景」の核になると考え、1987〜2019年に日本全国から集まる大学生諸君に小学校低学年ころの記憶にある「風景」とそこで何をしていたかをアンケートで聞いてきました。その結果は学内誌に一部書いたりしましたが、専門外でもあって未だきちんとまとめることはできていません。それでも、それなりに興味深い傾向を見て取ることはできたと思っています。

最近は多摩ニュータウンで育った人も増えましたし、私もここに住んで40年になろうとしています。そろそろ計画的・人工的に開発された多摩ニュータウン育ちの人々の「原風景」に何か特有な点があるのだろうかといったことを考えることもできそうだと思いました。そこで、大学生を対象にした調査と同様のことを多摩ニュータウンでやってみようと思い立ったわけです。ただし、同年代の学生が多数かたまって存在する大学の場合と違って調査も人づてに少しずつ行わざるを得ず、まだ年齢もバラバラな68名から回答を得ているのみです。というわけで正確な比較は難しいのですが、これまでの結果から推測できそうなことを少しお話してみたいと思います。

●中央大学の学生のアンケートにみる原風景
中央大学理工学部の学生を対象にアンケート調査(1987〜2019年の32年間で有効回答者計5120人)を行いました。アンケートは、ごく簡単に『小学校の低学年(7〜10歳)くらいの時、どこにいたか、そのころの記憶で頭に浮かぶ風景や、そこで何をしていたか』を聞いています。

得られた回答に記された「風景」と「行動」の内容について、それぞれいくつかの項目に分けて回答者数を数え、調査年ごとの回答者全数に占める割合で表しました。これらの項目のうちほぼ10%以上を占めるものについて、社会の変化などとの対応を考察できるよう、子ども当時の年代(1976〜2008年)に置き換えて時系列でグラフ化しました。

記憶にある風景では、1980年代の初め頃までは緑や水辺に関する風景が1、2位で40〜50%を占めていましたがその後急減し、代わって公園・校庭の風景が急増して50%以上となりその後も目立った減少なく他を圧していきます。はじめは比較的多かった(30%前後)原っぱ・空き地、田・畑も、緑や水辺ほどではありませんが同時期に減少しています。ただし、緑、水辺、原っぱ・空き地、田・畑がなくなることはなく、2000年代に入っても10−20%前後は見られます。

行動について見ると、虫取り、魚・ザリガニ取りは、1980年まで40%くらいあったのがその後緑や水辺の記憶と同様に急減しています。校庭・公園に連動していると考えられる野球・サッカーなどの球技は始めからかなり多いのですが、1980年代の56%をピークに徐々に減少する傾向を見せます。記述内容から見ると、この減少傾向は球技と言っても遊びの要素が強かったころから本格的なスポーツに変化していったことを反映しているようです。自転車も減少傾向にありますが、鬼ごっこなどの子供の遊びは根強く残り2000年代には増加の傾向も見せます。校庭・公園などで球技が禁止されることが多くなった影響でしょうか。ゲームはファミコンの登場とともに急増しましたが、その後はあまり増加するわけでもなく2000年代に至っても10%前後で推移しています。回答者に聞きますと、「確かにゲームに費やした時間が長いはずだが記憶にはそれほど残っていない」とのことでした。

●社会の動きを重ねてみると
「もはや戦後ではない」といわれた1955年以降、インフラ整備が急速に進んだ高度成長時代を経て、1770年代になると人々は個人の生活の豊かさを求めるようになりました。自家用車の普及、海外旅行、整備された郊外住宅地の増加など“アメリカ風”の生活様式が1970年代以降急激に広まりました。緑、水辺の記憶が急減するのもこのあたりからですし、公園の記憶の増加も1970年代から急速に進んだ公園緑地の整備に関係していると思われます。交通事故の増加が社会問題となるころには、子どものころの記憶から自転車乗りが少なくなってきています。また、1980年代にファミコンが発売されると、記憶の中にもTVゲームが現れてきます。

1970年代からは多摩ニュータウンのような都市郊外の新興住宅地開発が進みます。しかし一方で、一時期新興住宅地で凄惨な事件が多発したことから郊外住宅地へ強い批判が向けられるようになり、風景がアノニマス(どこでも同じ)となってしまった郊外住宅地でこそこのような犯罪が起こるのだといった論調が注目を集めました。当然、生活様式の変化にともなうコミュニティの変化は、子どもたちの行動にも影響を与えると考えられます。街の整備が進んで自由に遊べる自然スペースやオープンスペースが少なくなっただけでなく、少子化で遊び友達が減少したり塾や習い事で時間を取られたりして子どもたち外遊びが減少し、記憶の底に残る「原風景」にその変化が影響しているように思います。

●多摩ニュータウンにおける調査
多摩ニュータウンの調査は、パルテノン多摩ミュージアム市民学芸員の方などの協力で実施し、68名の方から回答を得ています。そのうち5名はニュータウン開発以前に子供時代を過ごした方で、ニュータウン育ちの方は実質63名ということになります。数が少なく年代のばらつきもあり、中央大学の学生を対象とした全国的な調査とは正確な比較はできませんが、構成比によりかなり強引に比較してみました。

風景に関しては、多摩ニュータウンの調査では当然ながら全国の調査と比べて水辺や田・畑は少なく、道路や建物が多くなっています。しかし、意外にも緑に関する風景が多く、空き地・原っぱも多いことがわかります。公園や緑地が多く造られたこと、ニュータウンが少しずつ時間をかけて開発されてきたことが関係ありそうです。校庭・公園の割合にはあまり違いが見られません。

行動に関しては、校庭・公園で球技が制限されていることもあるのか、球技が少なく、鬼ごっこなどが多くなっています。自然の水辺がほとんどないので魚・ザリガニ取りは当然少なくなっていますが、意外と虫取りが多いことは緑地が多く造られただけでなく宅地造成中にそこここに林が残っていたことも関係していそうです。また、遊具や自転車などが多くなっているのは公園や遊歩道が整備されたからでしょう。

今回得られた回答からは、ニュータウンの特有の特徴が垣間見えるものの、子供を取り巻く環境としては意外と健全な印象を受けました。団地では近所に同世代の子供がまとまっていたでしょうし、緑地・公園・遊歩道が多く造られたこと、開発がゆっくり進んだために空地や雑木林などの空間が残っていたこと、開発事業体や開発時期の違いによって街区の様子が異なっていたりしたことなど完璧な計画都市とは言えないようなところも子供たちにはよかったのかもしれません。

5名の回答しかないのですが、ニュータウン開発以前の多摩市で子供時代を過ごした人の回答では、開発以降に比べて、当然ですが風景では水辺、田・畑、空き地・原っぱなどの割合が、行動では魚・ザリガニ取りの割合が大きいことが特徴的です。

(2025.3.31[Mon]記載)


第176回(2025年1月16日)

■テーマ:多摩ニュータウンを「ゆるめる」
■講師: 照井啓太(てるい けいた)さん(団地愛好家、地方公務員)

照井さんは無類の団地愛好家で、団地ファンサイト「公団ウォーカー」を20年以上運営しておられます。ご自身も神代団地に15年居住され、団地生活を満喫されておられます。高校2年生のころに団地に興味を持ち、写真を撮りまくっていたということで、これまでに『僕たちの大好きな団地—あのころ、団地はピカピカに新しかった!
』『団地ノ記憶』『団地の子どもたち 今蘇る、昭和30・40年代の記憶』(洋泉社)などの共著書があります。最近では、2018年に『日本
懐かし団地大全』(辰巳出版)が出版されています。
本日の話は、これまで数多くの団地を見てこられた、まだ30代の若い世代の照井さんに、多摩ニュータウンは外部の目からどう映っているのか、より、若い世代の人たちにニュータウンを理解し、住みたいと思ってもらうためには何が足りないのか、率直なご意見を伺いたいと思います。

●完成度が高く、非常にうまくつくりこまれているニュータウンだが・・・
まち全体に張り巡らされた歩行者専用道路、都内でも群を抜く公園の整備水準など、子供たちが自由に遊ぶことのできる街は他には見られません。居住地と商業地がうまくすみ分けられ、住区のまんなかに買い物の中心としての近隣センターが設けられていて、また住宅ストックは素晴らしいものがあります。
このような非常に完成度の高い街ですが、住民があたりまえと思っていることが、他の街にはない素晴らしい街だということを、もっと誇ってもいいと思います。多摩ニュータウンは、何かと外からは叩かれたり、批判されたりしますが、ニュータウン住民は謙虚すぎて、弱気になっているように思えます。
リクルートが毎年実施している「住みたい街ランキング」では、多摩ニュータウンは100位圏外だが、「愛されている街ランキング」では多摩市は都内で13位に位置しています。前者は20〜49歳がターゲットにしているが後者は自治体居住者を対象としています。
これが何を意味するのか、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

●完成度が高すぎる堅すぎる多摩ニュータウンをゆるめる
完成度が高いとは、いいかえれば堅すぎるということでもあります。街中に張り巡らされた素晴らしい歩行者専用道路ですが、しっかりと作られた結果、道路法により管理されて、利用するにも道路占用許可が必要であり、厳しい条件のもとで様々な成約があります。
・滝山団地では歩行者専用道路の道路法による管理を中心の3m程度として、両側を団地敷地として利用できるようにしています。その空間でキッチンカーが出店したり展示会などが行われています。

・狛江市では*「ほこみち」制度※1*を活用した、まちなかビアガーデンを実施しています。
・川崎市のUR虹ヶ丘団地では、パナソニック、東急、URにより、自動配送ロボットや空中配送ロボットなどの実証実験「ソラカラ便」が実施されました。当初URの敷地内での実証実験だったものが、川崎市の協力を得て、遊歩道を横断して実施することができたそうです。
公園も多摩ニュータウンの主要な公園は都市公園法により管理されています。現在、多摩中央公園ではパークPFIにより民間を活用した公園の活用が進めれていますが、これがうまくいってニュータウンの公園にもっと広がっていってほしいものです。
・調布市の神代団地ではURの管理広場でクリスマスマーケットなどのイベントを行っています。
・世田谷の羽根木プレーパークは、子供たちが焚火をしたり木登りをしたり自由に遊べる公園ですが、40年の住民活動の中で生まれたものです。
鶴牧東公園の噴水のある広場(ジャブジャブ池)は好きな空間で、子供を連れて何度か遊びに来ていますが、近くに自販機もありません。このような場所にキッチンカーや自販機でもあれば、もっと楽しい場所にすることができます。
都市公園も管理者次第で楽しい空間にできます。管理者を動かすのは住民の思いです。住民の思いで、反対する人たちの心もゆるめられると思います。

●街の中心の「近隣センター」だが、名前からして堅すぎる
近隣センターも計算され計画されて作られており、時代の変化に柔軟に対応できないところがあります。昔のように魚屋、八百屋、肉屋などの立地は大規模店には太刀打ちできず、望めません。これからの商店街は個性的なお店が再生を促していくと思います。
・花見川団地では、無印良品とのタイアップで商店街を含めた一帯のリノベーションを行い、通りにベンチや椅子をおいたりして、なんとなく行きたくなるような人が集まる楽しい空間にしています。
・町田山崎団地ではぐりーんハウスという駄菓子屋を建築家の方が引き継ぎ、事務所を兼ねた駄菓子屋としたところ、子供たちも集まるにぎやかな場所になっています。その後クッキー、ラーメン、パン屋、アートのお店、ノンアルコールカクテルのおしゃれなお店など様々な業種・業態のお店が出店するようになっています。
・花見川団地でも、商店街の1区画を「えがおの駄菓子屋」という店を学生が運営したりしていて、子供たちが集まっています。
商店街に駄菓子屋さんがあると子供たちが集まり、やがて大人も集まってきてにぎやかな空間になります。商店街でバーベキューをやってしまうような「ゆるさ」もあっていいと思います。お酒をおしゃれに飲めるような場所やお店もあるといいと思います。

●多摩ニュータウンには土地が十分にあるのでなんでもできそう・・
・コンフォール茅ケ崎浜見平では、建替えに合わせて市の公園と民間施設をつなげ、民間施設の敷地の一部を公園と一体的な中間領域として整備しました。中間領域には遊具やファニチュアも置かれ、自由につかえる空間となっています。
永山団地商店街と隣接する永山南公園も似たような立地になっており、このような使い方ができる可能性があります。

・*南町田グランベリーパーク※2*
は、ショッピング施設と鶴間公園がシームレスにつながっていて、商業施設でテイクアウトして鶴間公園で食事することもでき、公園には隣接してスヌーピーミュージアムがあったり、おしゃれな施設も設けられています。
このような空間の使い方は土地がなければできませんが、幸い多摩ニュータウンには十分な広さの土地があります。これを活用しない手はありません。

●どうやったらニュータウンをゆるめて楽しいまちに出来るか考えてみよう!
照井さんから、様々なアイデアの提案がありました。
・サウナとか銭湯があったらいいな!
・遊歩道100mごとに自販機が欲しい!
・団地の中にキッチンガーデン!
・ペデストリアンデッキでビアガーデン!
・屋台がいっぱいあると楽しそう!
・遊歩道をスケボーコースに
・公園でキャンプしたい!
・近隣センターにスナックがあったら!

多摩市でも公園の使い方や、歩行者専用道路の利用などを市民と一緒に考え、実験するプロジェクトも動いています。近隣センターでは、若い世代の人たちがこれまでとは一味違う店舗の活用を始めています。
市民が自由な発想で、怖がらずに始めてみることが重要だと思いました。それとも、若い人たちはすでに始めているのかもしれません。
参加された方から、「私的に自由にまちを使う」ためのアイデアやノウハウが詰まった本の紹介もありました。
⇒「PUBLIC HACK」(笹尾和宏著 学芸出版)

照井さん、お忙しいなか多摩ニュータウンに来ていただき、貴重なお話をありがとうございました。多岐にわたる内容で事例もたくさん紹介していただきましたが、つたないまとめで、十分に内容をお伝えできないことをご容赦ください。

*※1*「歩行者利便増進道路」(通称:ほこみち)
「道路空間を街の活性化に活用したい」「歩道にカフェやベンチを置いてゆっくり滞在できる空間にしたい」などのニーズに対し、道路空間の構築を行いやすくするため道路法等を改正して制度化された(令和2年)
⇒ https://www.mlit.go.jp/road/hokomichi/index.html

*※2 *「南町田グランベリーパーク」
東急田園都市線南町田駅、240店舗を超えるアウトレット複合商業施設や、スヌーピーミュージアムなどがあるパークライフ・サイト、多様なアクティビティが楽しめる鶴間公園など、さまざまな施設が融合したまち
鶴間公園は運動公園で、指定管理者「TSURUMAパークライフパートナーズ(株式会社石勝エクステリア、東急スポーツシステム株式会社、日本体育施設株式会社)」が管理・運営している
⇒ https://gbp.minamimachida-grandberrypark.com/townguide/

(2025.1.24[Fri]記載)


第175回(2024年11月21日)

■ テーマ:「高経年マンションの管理 〜管理組合の苦悩と工夫〜」
■講師:松本真澄(まつもと ますみ)さん(東京都立大学 都市環境学部 建築学科 助教)

●自己紹介など
本日の話題に関係して、自身が関わってきた著書のいくつかを紹介します。これらの本では、公団の初期住宅団地の住民や暮らしなどを調査研究された内容も書かれています。

・「多摩ニュータウン物語(オールドタウンとは呼ばせない)」(上野淳・松本真澄/鹿島出版会)
・「奇跡の団地阿佐ヶ谷住宅」(三浦展・大月敏雄・志岐祐一・松本真澄/王国社)
・「四谷コーポラス(日本初の民間分譲マンション1956〜2017)」(志岐祐一・松本真澄・大月敏雄/鹿島出版会)

生まれてこの方、ずっと団地での生活を続けてきています。生まれてすぐ物心つく前は中央線沿線の日本住宅公団の賃貸にいて、その後他の分譲団地を経て、高校生ころから現在まで築58年の公団分譲マンションに暮らしています。

学生時代から団地の営繕の専門委員会に参加し、分譲マンションの管理は身近なこととして、ひしひしと感じています。余談ですが、最近住んでいる団地で建替え推進決議が否決されてしまったということがあります。

●現在継続中の高経年マンションの調査について
これまでの研究は団地居住者や高齢者の生活に関することがメインテーマでしたが、高齢化の後に分譲マンションはどうなるだろうかという問題意識も持ち始めていた矢先のタイミングで、長谷工総合研究所とハウジング&コミュニティ財団から高経年マンションの共同研究をもちかけられました。

2019年に八王子・多摩・町田、2021年に世田谷・渋谷、2023年からは横浜市も加え、調査が継続中です。それとは別に個人的な研究として、住棟タイプが混在する団地型分譲マンションの研究も行っています。

調査は、1994年以前竣工のマンションへのアンケート調査、協力の得られた約100件の管理組合へのヒアリング調査、さらに区分所有者・居住者への意識調査も実施しています。

アンケート調査の結果については、長谷工総研のCRIレポートにまとめられたものがあり、多摩市のマンション管理セミナーでも報告していますが、本日は主にヒアリングを通して見えてきたことをお話します。

●マンション管理に関する法制度のおおまかな流れ
マンション管理に関する法制度の大まかな流れを見ると

H12(2000):マンション管理の適正化にの推進に関する法律(マンション管理士制度の創設)
H16:マンション標準管理規約
H31:東京都におけるマンションの適正な管理の促進に関する条例
R2:「管理状況届け出制度」(S58年以前の建物を対象)
R4:「マンション管理計画認定制度」

などがあり、多摩市でもR5.4月から認定制度の運用を始めています。これにより固定資産税の減免、金融支援、市場評価などのメリットがあるものの、多摩市ではまだ適用は少ないようです。

R6年1月には区分所有法の改正の見直し案が決まり、マンション標準管理規約も6月に改正されています。大きな流れとしては、マンション管理に行政が積極的に関与していくという方向にあります。

2000年前後にはマンション管理に関する研究も多くなされており、管理に関する様々な問題指摘や課題解決の方策も示されていますが、最近では、外部者管理や敷地売却などマンションの終活などが新しいテーマとなっています。

●調査して改めて驚いたマンション管理の問題
アンケートを郵送しても管理組合に届かないことが多くありました。行政では管理組合の範囲が把握できないケースがあります。ただしこの状況は、管理状況届け出制度により解消しつつあります。小規模マンションでは管理組合の郵送を受けとる場所がなく、郵便物が届かないこともあります。

小規模マンションや等価交換マンションでは、そもそも管理規約のない、地主が勝手に敷地を売却してしまうなどの課題やトラブルが非常に多いことがわかりました。それでも、管理士などの専門家が入って、課題解決やマンションの再生に取り組んでいるところも見られます。

管理運営の方法も様々なバリエーションが見られ、区分所有者間の利害対立、価値観の相違からマンション管理を大変なものにしていることが改めて認識できましたが、その中でも解決策や様々な対応もされてきています。

●多様な管理運営形態と理事会の課題
マンションの管理運営の方法には、自主管理、外部者管理、中間的な委託管理があります。最近の新しいマンションではホテルライクな外部者管理が増えており、共働き世帯などには評判がいいということです。

委託管理方式は、一部委託から全部委託まで非常に幅広くなっています。理事会のサポートの方法にも、マンション管理士や建築家、弁護士の協力体制を敷いているケースや専門委員会など居住者の中の専門家、有志によるサポート体制を組んでいるケースもあります。

理事会のなり手がいないということを最近多く聞きます。小規模マンションでは本当に困っているところもありますが、ある程度の規模のマンションでは工夫の仕方もあるように思います。

理事の選び方も、輪番制のほかに半数改選や自薦、他薦など考え方も多様です。専門家の活用についても、積極的に団地内の専門家を活用するところから専門委員会には団地内専門家は入れないところまであります。理事会の役割についても、なんでもかんでもしょい込んでしまう理事会もあれば、できる限りスリム化の工夫をしているところもあります。管理会社の活用もなるべく費用を抑えてという考え方もあれば、費用をかけても利便性や負担の軽減を図ろうというところもあります。大規模修繕のやり方、コミュニティの考え方についても多様です。

●管理運営の問題をどうすればいいか考えてみる
様々にある管理運営の問題を対症療法的に対応しようとしても、理事会が変われば考え方も変わるなど、うまくいかないことがあります。管理組織をどうすればいいか、ガバナンスの問題としてコンセンサスが必要ではないかと思います。

マンションのマスタープランやビジョンを作成しているところもあります。有名なところでは京都の西京極のマンションがありますが、多摩ニュータウンの団地の中にもとてもしっかり運営しているところもあります。特定の団地を取り上げると支障もありそうなので、今日は横浜の団地の事例を紹介します。

横浜市磯子区にある築50年を超えた団地の例です。ここでは給水塔の耐震性の欠如が判明し、その下部に併設されていた集会所を、木造平屋の新しい集会所に建て替えるということもやっています。

ここでは、「団地再生アイデアブック」を作成し再生に取り組んでいます。この団地は700戸程度の規模ですが、理事会運営のスリム化にも工夫しています。例えば住民から、空き駐車場へカーシェアリングの導入といった要望や要求が上がってきたとき、理事会がやるのではなく、言い出しっぺの住民に、検討組織を作って総会にかけるための資料づくりまでまかせてしまうというやり方もしています。

理事会業務を見直してみること、スリム化の工夫の可能性はありそうです。管理人とは別に、フロント業務の経験者などを理事会のサポート要員として雇用し、小修繕やトラブル対応などをやってもらっているところもあります。また専門委員会に執行権限まで任せて、理事会は承認、決裁機能のみとしているところなど、様々なタイプのおもしろい運営の仕方、取り組みがあることがわかり、今後研究を深めていきたいと思っています。

●まとめとして、持続可能なマンション管理に向けて
高経年マンションでも団地のカラーや個性の違いがあり、団地のマスタープランやビジョンを内部で共有し、見える化して開示していくことが重要です。高経年マンションでも50年、55年もたてば、居住者は入れ代わります。買い取り再販などで若い人も入ってきます。その時に、団地のカラーや違いがわかり、団地選択の判断の一助になればいいと思います。

調査は今年度3月ごろまで継続し、その後取りまとめということになるそうです。まとまった段階で、新たな知見も含めてこのサロンで発表していただく機会を設けようと思います。

質疑応答では、解決策までは見つからないまでも、コミュニティの問題や理事会の疲弊、高齢化や心身の問題を抱える高齢者の増加、理事会の報酬と管理方式との関係性、建替えや賃貸居住者の問題、郊外の住宅需要のない立地での終活などの問題提起や議論がありました。また、参加者からJRC48(リジチョウ48)という理事長経験者によるネットコミュニティの情報提供もありました。

松本さん、調査継続中のなかで貴重なお話をありがとうございました。

(2024.11.29[Fri]記載)


第174回(2024年9月19日)

■ テーマ:「フットパスによる未来づくり」
■講師: 神谷由紀子(かみや ゆきこ)さん(NPO法人 みどりのゆび理事・事務局長)

●「みどりのゆび」とは、「フットパス」とは
「NPO法人みどりのゆび」は緑地保全、まちづくり、里山の農業に対する支援、基金活動や将来の子供達への環境教育などを目的とし、自然・歴史のウォーキング(フットパス)開催、マップや環境教材の制作、緑地の管理(町田市からの委託)、農業の支援、安全な食物の確保と流通、緑地保全基金活動などを行っています。
みどりのゆびの名前の由来は、フランスの同名の童話に描かれた精神を未来を担う子供たちに引き継いでいきたいという願いから名付けられたものだそうです。(「みどりのゆびHP」から)

今回のテーマである「フットパス」とは、イギリスを発祥とする“森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと【Foot】ができる小径(こみち)【Path】」のことであり、ひいてはこのみちを歩くことの総称ということです。(「日本フットパス協会」)

みどりのゆびのフットパス活動は、約30年の歴史があります。また、町田市の石阪市長が会長となって、日本フットパス協会も設立され、65団体が会員となっています。全国でフットパス団体は122、575のコースが設置されているということです。

●フットパスをはじめるきっかけ
そもそもの始まりは、鶴川駅東側に広がる”能ケ谷の森”の開発計画をきっかけとして、町田市の北部に広がる丘陵の緑を保全しようという市民活動だったそうです。1992年に神谷さんを代表とする「鶴川地域まちづくり市民の会」が結成され、町田市との協働によるまちづくり活動を始められます。

小野路や小山田などの町田市の北部丘陵地を開発の圧力から守り保全するためにはどうすればいいか、地域の農業の維持、後継者、相続などの多くの問題に解決策を見出すことができない状況でした。そういう中で、イギリスにも住んでおられた神谷さんの母親の言葉から、自然や田園風景の残るこんないいところなんだから、マップを作って、多くの人を案内してみようと思い立ったそうです。

1999年には「鶴川村散歩道案内」を発行し、多摩丘陵を案内する「みどりのゆび」の運動をはじめられます。東京農大の進士学長や麻生教授の指導のもと、日本財団の助成により「多摩丘陵フットパスマップ1」を作成することになりますが、初めから「フットパス」の概念があったわけではなく、神谷さんたちがはじめられた活動が、まさにイギリスのフットパスと同じだという麻生教授の指摘があって、フットパスを名のることになったそうです。

2001年に東京農大の進士学長を初代理事長として、NPO法人の設立総会が開催されます。その後、フットパスガイドマップは合計4冊が刊行されています。

●フットパスからのまちづくり
みどりのゆびのフィールドの小野路地域には小野路宿の歴史的な街並み、新選組由来の歴史のある布田道(ふだみち)や六地蔵などの地域のシンボルも残り、里山や谷戸の棚田などの豊かな自然や風景もあります。ここで、年に1,2回、100人規模の参加者でにぎわうフットパス祭りが開催されています。

農家の人たちの理解と協力を得て、地域の食材や料理でもてなし、参加者は地域の人たちとの共同作業を通じ、小野路の生活様式や生活文化に触れ、地域の人たちとの交流やふれあいが生まれています。地域に対しては多少の経済的な貢献もでき、これまで多摩ニュータウン開発を横目で見ながら、格差を感じていた地域の人たちは自分たちの生活文化や食と自然の資源の豊かさを見直し、自信を持つようになりました。

町田市との協働・協力体制もでき、小野路宿に残っていた名主屋敷を町田市が買い取り、コミュニティ施設「小野路宿里山交流館」をオープンしました。当初の予想を覆すような1日100人、これまでに30万人もの来訪者もあって、いまでは30人程度の地域の人たちの働く場所にもなっています。

小野路の評判は、町田市全体のイメージアップにもつながり、住んでみてよかった街の上位にランクされるようになりました。

このような経験から、神谷さんはフットパスは地域や町に自信と誇りをもたらし、まちづくりにつながる。フットパスはまちづくりであるということがわかったと言われます。
神谷さんは、フットパスは、『地域資源の再発見につながり、地域のファンを増やす。また地域の共同体を再生し、様々な人たちとの交流や共同作業の場、プラットフォームを形成し、地元の農林業にも貢献でき経済効果も生まれる。』などの効果をもたらすと評価されています。

●フットパスから生まれる全国・世界との交流
2006年から2008年には、他の自治体とのフットパスの交流が始まり、シンポジウムも開催されます。2009年には石阪町田市長を会長に町田市観光協会に事務局を置く、日本フットパス協会が65団体の構成メンバーで発足します。

2010年にはフットパスの本場であるイギリスの関連団体との交流も始まり、WaW(Walkers Are Welcome)の代表を日本に招待、またイギリスを訪れてフットパスを歩き、日本のフットパスについて講演もされています。

日本の他地域のフットパスもたくさんご紹介していただきました。詳しくはご紹介できませんが、熊本、最上川の山形県長井市、ワインの里の甲州勝沼、札幌近郊の黒松内、南幌、富良野など、写真を見せていただきながら、一度訪れてみたいと思うようなところばかりだと感じました。

●フットパスのこれから
イギリスのフットパスは、産業革命後の民衆の生活環境や生活水準の向上欲求から、生活を少しでも豊かなものにしようというところから始まりました。日本でもバブル崩壊後、自分たちの生活を見直し、自分たちの地域や町のいいところを見つけていこうというところから、始まってきたものです。

フットパスの貢献ということでは、地域レベルでは”地域にかかわって暮らす”ことができます。近年、地方や田舎への移住も増えて、地域を再評価する動きが生まれています。フットパスは地域のいいところ、誇れる資源などの点をつないで線にしていき、それが集まって面になるという、いわば地域版SDGsのテーマパークともいえます。さらに地域の自給力づくりにつながります。

全国レベルでは、共感する優しい社会づくりに貢献できます。双方向の助け合いのネットワークは地域どおしのつながりを強固にし災害時に相互扶助の力として生きてきます。
神谷さんからは、「皆さんも、地域の古い街並みやありのままの自然など、地域の面白い、いいなと思えるものを探してみてください。」とのメッセージでした。

フットパスとは、単に歩いて楽しむだけのものではなく、自分の周りの地域の資源を見出し、さらに他の地域や世界に向けた発信と交流、これらを通じた地域経済の再生や再発見ということまで視野に入れて活動されていることがよくわかりました。
紹介していただいた、フットパスガイドマップ(全4冊)、今日のお話と関連する神谷さんのご著書「フットパスによるまちづくり」「フットパスによる未来づくり」は「みどりのゆびHP」から申し込みできます。
→ https://www.midorinoyubi-footpath.jp/books.html

神谷さん、貴重なお話をありがとうございました。

(2024.9.24[Tue]記載)


第173回(2024年7月18日)

■ テーマ: 「多摩草むらの会 〜その理念と活動〜」
■講師: 風間 美代子(かざま みよこ)さん(NPO法人多摩草むらの会 代表理事)

多摩草むらの会は、障がい者の家族が集まって発足した「親の会」が、1997年(H9)に任意団体「多摩草むらの会」を設立。2004年(H16)には「NPO法人多摩草むらの会」として法人格取得しました。現在は同NPO法人に加えて、(福)草むら、(株)グリーン・ガーラ(農地保有適格法人)の3法人による構成となっています。

草むら3法人では、就労支援、自立生活支援、相談支援など様々な支援事業を、就労継続支援B型事業所8か所、就労移行支援事業所1か所、グループホーム2か所、相談支援事業所(一般、特定)2か所など多数の事業所で展開しています。多くの事業所名には「夢」という文字が使われていますが、統合失調症の方は「夢の中の人」と言われていたこともあり、「待夢(たいむ)」、「草夢(そうむ)」・・・など「夢」を入れたネーミングがされています。当会では障がいのある利用者を「メンバー」と呼んでおり、「(障がい福祉サービスを)利用させてもらう」のではなく事業所の一員として尊重し共に事業を進めようという姿勢が感じられます。

当日はビデオによる各事業所および会の活動のご紹介がありましたが、その内容は 多摩草むらの会のホームページでも詳細に紹介されていますので、そちらをご覧ください。
→ https://kusamura.org/
ここでは当日会場での意見交換の中から、活動の注目点や課題などについていくつか紹介します。

●様々な就労内容のB型作業所が8つあることで、メンバーのニーズに合ったマッチングが可能となる点が大変注目されます。障がい者の個性、障害の状況、スキルなどは多様であり、事業所の選択肢が多いことは、より当事者に合った就労の場との出会いが可能となり本人のやりがいにもつながります。また、別のB型作業所に関わる参加者からは、「利用者の高齢化により、これまでできていた作業ができなくなることで就労継続が難しくなる悩みがあるが、同じ法人内で別の事業所への移行が可能であれば就労継続につながり大変いいと思う。」との発言がありました。風間さんは、「メンバーにとって何がよいかを考えて選択肢を広げてきた」、結果として「これだけの事業所に広がった」と27年間を振り返っておられます。

●メンバーの年齢構成では40代、50代が多く全体の半数強を占めており、高齢の親御さんも多くなっています。自身の障がいだけではなく、ヤングケアラーとして親御さんの介護に直面したり、近年社会問題として取り上げられる「8050問題」、家族内で複数の問題を同時に抱える多問題家族のケースも見られ、家族全体に対するサポート、支援が必要になっているとのことです。

また、障がい者本人・家族を支援するとともに、障がい者が社会で安心して充実した生活をおくるためには社会の偏見を取り除かなければならない、とさらに様々な取り組みをされています。その一つとして、多くの人が自然に出会い触れ合う場として「モーニング」(1回/週、事業所で調理した食事各200円)も実施し、地域の方々の利用も多いとのことです。この取り組みは、「福祉の枠を超えて」社会で様々な困難を抱える方たちが立ち寄り、交流し、相談、支援などのきっかけとなる場となることも目指しています。

●多様な事業、事業所、約480名の登録利用者といった大きな法人運営は風間さんの信念と(参加者の言葉を借りれば)「柔軟な頭とフットワークの軽さ」によってけん引されてきたものと思いますが、加えて、様々な実績、スキルのある多くのスタッフや多様な分野の専門家とのネットワークが大きな力となっているようです。また、会を取り巻く地域との信頼関係を築くことも重要です。例えば、グループホームは関係者の理解を得にくいケースが多く見られますが、草むらの会ではこれまで2つのグループホームを設立しています。土地所有者、不動産業者、近隣住民など様々な立場の関係者の理解を得る努力や新たな関わりを築いていく熱意の成果だと思います。これまでの2つのグループホームは通過型(原則、入居から3年までの利用)であるため、将来的にはさらに滞在型グループホーム(入居期限はなし)の設立を目指したいとのことです。

この他にも、人材確保の難しさの要因の一つとなっている給与等処遇環境(注1)の課題、メンバーが受け取る工賃向上のため高い収益確保の経営的課題などにも触れていただきました。

事業所経営としては厳しい状況にあるとのことですが、「『これでいい』ということはなく、やることはまだまだいっぱいある。尽きることはない。」との言葉に、ソーシャルインクルージョン(注2)、ソーシャルファーム(注3)の実現を目指してこれからも走り続ける風間さんの姿が見えるようでした。

これまで障がい者福祉サービス事業について詳しく知る機会がなかった参加者にとっては、事業の現状や課題だけではなく、障がい者の様々な姿や思いを知る機会にもなりました。

(注1)事業所収入の基本となる障がい福祉サービスの報酬は国の定める報酬体系で定められている。
(注2)「社会的包摂」と訳される。誰もが分け隔てなく社会の一員として共に活動しながら支え合うこと。(社会福祉法人草むらHPより)
(注3)海外に多数存在する社会的企業の一つ。一般企業と同様の経済活動を行いながら、その職場では、就労に困難を抱える方も必要なサポートを受けながら他の従業員と共に働いている。(*2と同様)

風間さん、貴重なお話をありがとうございました。多岐におよぶ事業展開や様々な課題など大変盛りだくさんの内容でした。

(2024.7.31[Wed]記載)


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