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第161回(2022年7月21日)

■テーマ:「団地プロデュース型コミュニティ再生計画について 〜愛宕と松が谷でのコミュニティ形成と団地再生モデルの構築へ〜」
■講師: 渥美京子(あつみ きょうこ)さん(一般社団法人コミュニティネットワーク協会理事長)

渥美さんは専門誌の編集者や週刊誌記者などを経て、食や暮らしをテーマにノンフィクションライターとして活動されてきました。東日本大震災のあと福島の女性支援にかかわったことがきっかけで、一般社団法人コミュニティネットワーク協会へ、2019年から代表理事を務めておられます。

コミュニティネットワーク協会は、阪神淡路大震災の被災者支援をきっかけに1999年に設立され、様々な社会課題の解決を目指し、共生型のコミュニティの創生、安心して暮らし続けられる地域づくりを使命として活動されています。

過疎地の再生と大都市部のコミュニティづくりを事業の両輪として、これまでに手掛けられてきた事業をいくつかご紹介していただきました。

シニアのための住まいとコミュニティづくりを目的とした栃木県の「ゆいまーる那須」、さらにこれをきっかけに国の地方創生モデル事業を全国9自治体において支援。多摩市では「ゆいまーる中沢」、「ゆいまーる聖ヶ丘」の企画・マーケティング・入居者募集などを手がけられています。

「ゆいまーる高島平」は地域住民との参加型学習会を重ね、ニーズを具現化するために団地内に点在する空き室を利用した安心住まいづくりとして、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)と1階商店街の空き店舗でフロントと交流スペースを企画提案されています。
愛知県住宅供給公社の大曾根住宅(名古屋市)では、スーパー撤退後の空き店舗を活用した、子どもから障がい者、高齢者が共生する交流拠点を創出されていますが、住民・学者・専門家・事業者などで構成した「大曽根研究会」をベースに「大曽根で暮らし続けるしくみをつくる会」を立ち上げ、ニーズヒアリング、自治会と1年かけて信頼関係構築を進めてこられたそうです。これが松が谷のプロジェクトにもつながっているということです。

豊島区で2019年から手がけられている「空き家を活用した『としま福祉支援プロジェクト』」(国交省2019年度「住まい環境整備モデル事業」)は、空き家を活用したセーフティネット住宅と居住支援のしくみづくりが特徴です。セーフティネット専用住宅は、いろいろなニーズに対応できるようシェアハウス4室(共生ハウス西池袋)、ワンルーム6室(共生ハウス池袋2丁目)を用意し、住宅要配慮者に限定して貸しているそうです。池袋駅前には共生型の交流拠点「共生サロン南池袋」を、DIYやクラウドファウンディングなどにより最低限の費用で開設されています。共生サロン南池袋の働き手はセーフティネット住宅の居住者、障害者、生きづらさを抱える若者などであり、社会的弱者が社会的弱者を支える仕組みだといえます。

共生サロンの収支は、自主事業、介護保険事業、障害者事業の3つを組み合わせて、家賃・人件費・一般管理費などの支出をカバーできる仕組みがつくられています。
・自主事業=健康麻雀、卓球事業
・介護保険事業(総合事業通所型サービスB〜麻雀サロン、将棋サロン、他)
・障害者事業(就労継続支援B型事業所〜2つ目の交流拠点〜雑司ヶ谷)
この収支のしくみを松が谷プロジェクトでも生かしていくというこです。

松が谷の取組は「参加型コミュニティづくり」の実践ということであり、地域の住民の主体的な参加で拠点を作り、コミュティの輪を広げていこうというプロジェクトです。JKK(東京都住宅供給公社)所有の300坪のスーパー跡の空き店舗を交流拠点として再生するための公募に事業者として選考されました。同時に国交省の「住まい環境整備モデル事業」にも選定され、事業がスタートしました。国交省のモデル事業では、松が谷における社会実験の成果を多摩市域の愛宕地区で展開し、さらに地域のコミュニティ再生を担う人材育成のための「団地プロデューサー養成講座」も立ち上げられています。

2020年8月から、行政やキーとなる地域団体へのアプローチ、2021年2月から自治会や住民組織へのアプローチを行い、徐々にプロジェクトの浸透を図っていったということです。2021年3月14日に行われた第1回の住民説明会は、”ともに課題の解決を目指していきましょう”ということから、あえて白紙で臨んだそうですが、住民からは厳しい反発もあったようです。会を重ねるごとに、何とかしたいという当事者意識を持つ住民が集まってきて、事業が進んできたということです。

2021年3月から2022年6月にかけての毎月の住民参加型学習会では、子供や学生も含め多世代の方が30〜40名参加されたということです。その中で、健康マージャンやヨガ教室、料理教室をやってみたいという方たちも現れてきました。またスーパー跡の軒先を使った「英語によるコミュニケーション教室」や「焼き菓子販売のマルシェ」などの活動や、住民の自主的な地域産の竹を使った本棚づくりなどが行われてきました。

スーパー跡の建物の改修工事も建築の産直を目指して、神戸の大工集団Teamクラプトンの協力で、近隣の学生や子供、高齢者、障害者も参加し住民参加型のDIT(Do It Together)で行われました。

7月17日にオープニングイベントが開催されましたが、これの実行委員は大学生と地域住民のみなさんが担い、pr活動、出演者交渉などすべてを担ってこれたそうです。地場野菜の販売、商店街の肉・魚の販売、料理教室、コミュカフェ、学習塾によるアフタースクール、オリパラ元日本代表監督による卓球場、健康マージャンなどにぎやかに開催されたそうです。

松が谷では豊島の実践例を踏まえた持続可能な事業の取組が行われようとしています。自主授業で損益を成り立たせ、就労継続支援B型事業と会員制のデイサービス(介護保険を使わないデイサービス)を組み合わせるというものです。

本サロンの翌々日、7月23日に「共生型交流拠点in松が谷商店街 ”コミュニティプレイスまつまる”」がオープンしました。いよいよ本格始動です。早速出かけてみましたが、地域の皆さんがたくさん集まっておられ、各お店や事業者さんも生き生きと仕事されていました。

すでに、第2弾の愛宕プロジェクトも始まっています。愛宕第2住宅の旧みずほATMの空きスペースを賃貸し、週2回の店頭相談、市や公社も参加した住民参加型の学習会も行われています。

さらに、今後の展開として、愛宕で成功モデルをつくり、他地区に展開し、若い世代の居住や働く場を作り、介護の必要な方々への対策を充実すること。そのために山王下の22,000uの都有地を活用した拠点を作るなどの構想を持っておられるということです。

(2022.7.27[Wed]記載)


第160回(2022年5月19日)

■テーマ:「マンションの60年とこれからの展望 〜マンションに明るい未来はあるか〜」
■講師:飯田太郎(いいだたろう)さん((一社)マンションライフ継続支援協会(MALCA)相談役、(公財)まちみらい千代田顧問、月刊マンションタイムズ(不動産経済研究所)編集協力者等。マンション管理士)

飯田さんは、これまで広告やマーケティングの仕事でマンション関連の業務を手掛けてこられ、ご自身のマンション管理組合の理事長や修繕委員長も経験されています。今でもマンションライフ継続支援協会、まちみらい千代田などの団体で顧問を勤められ、月間マンションタイムズの編集など、マンションに関わる様々な分野で活躍されています。
今年は区分所有法の制定から60年となり、そのうちの50年をマンション関係の仕事に携わってこられた経験から、マンションのこれからと将来の可能性について考えたいということで、今回サロンで講演していただくことになりました。

飯田さんは、マンションの60年の歴史を6つの時期に区分し、それぞれの特色と時代背景について提示されました。これは今回のサロンに向けて、試行錯誤しながらいまでも悩みつつまとめられているということですが、大変有意義で興味深い分析ですので、簡単にご紹介します。

@黎明期(1955(S30)〜1971(S46))高度成長期におけるマンション建設ブーム
1955年に日本住宅公団が設立され新しい住型式、ニュータウン建設が始まる。1962年に区分所有法が制定されたが制度インフラは未整備。分譲業者、管理業者とも玉石混交。コーポラティブ方式によるマンション供給も登場。

A創世記(1972(S47)〜1981(S56))2度のオイルショックを経て安定成長に向かう時代
1972年の列島改造論に始まる第3次マンションブームの到来。その後、1972、1979年の2度のオイルショック。1976年には建築基準法が改正され日影規制や総合設計が制度化。1978年の宮城県沖地震を経験し1981年には新耐震基準ができる。

B定着期(1982(S57)〜1989(H元))バブル経済のもと地価高騰の時代
1982年中高層共同住宅標準管理規約の制定、1983年区分所有法改正でマンション管理は充実。一方地価高騰、マンション価格が年収の5倍を超える。地価監視区域制度や土地基本法が制定された。農住法が制定され、都市農地の活用や市街化区域内農地の宅地並み課税も議論された。

C発展期(1990(H2)〜1999(H11))バブル崩壊と地価暴落の時代
1990年代初めのバブル崩壊とともに不動産業界の不良債権が築盛、ディベロッパーの淘汰。マンション価格も低下し、マンション供給も増加。1995年には阪神淡路大震災により多くのマンションが被災し100棟超が建替え。一方、1993年には環境基本法が制定、1996年土地政策審議会答申による「所有から利用へ」の提言、1998年「21世紀の国土のグランドデザイン」など21世紀を目前に新しい取り組みの機運が生まれてきた。

D成熟期(半熟)(2000(H12)〜2009(H21))マンション管理の体系が充実していく時代
2000年住宅品質確保促進法、マンション管理適正化法、長期修繕ガイドライン、マンション建替え円滑化法、2001年マンション管理士法など、相次いでマンション管理の体系・法制度が充実した。一方、マンションへの信頼を損なう構造計算書偽造事件も発生。マンションストックは500万戸を超え、良好な住宅ストック形成への機運も芽生えてきたが、マンション事業は成熟に至らず「半熟」状態にあった。

E循環期(2010(H22)〜)少子・高齢化、人口減少に向かう時代
2011年東日本大震災、2016年には熊本地震と大規模地震が連続して発生。2020年改正マンション管理適正化法・建替え等円滑化法の制定。マンションを巡る二つの老い(高経年マンションの増加と居住者の高齢化)が議論されるようになり、マンションの建設から維持管理と再生にシフトするようになった。自治体やマンション当事者(ディベロッパー、管理会社、管理組合、管理士等)も対処の方向を模索中といった状態にある。

このようなマンションの歴史を振り返り、その過程で飯田さんが経験されてきた様々なできごとマンションとの関りなどもお話しいただきました。これらを踏まえ、これからの展望を次のように述べておられます。

「今後とも、よりよい住宅生活へのニーズは大きく、マンションはコンパクトなライフスタイルに適合し、かつ防災・減災にも優れている。区分所有者が維持管理の大変さを理解し、習慣づければ発展の可能性は大きい。これからタワーマンションの課題が本格化するようになると、維持管理や再生の認識が深まってくる。

また、関係人口(交流人口)の増加による2地域居住が広がっていけば、マンション型の居住も拡大するであろう。岸田内閣のデジタル田園都市構想を国土及び居住の在り方とリンクすることが重要。つぎはぎでつくられたマンションの総合法制化に期待したい。

マンションを供給と再生の循環型事業とするためには、公(計画性+秩序型)と民(野武士型エネルギー)の連携が必要。建替えに際しては公共の土地取得による定借マンションや公共施設との合築も考えられる。多摩ニュータウンは公・民の連携できる条件があり、新たな事業モデルが誕生する可能性を秘めている。」

お話の後の意見交換では、マンション管理の在り方や管理組合の抱える様々な課題について議論が交わされました。
飯田さん、ご苦労の後がうかがわれるマンションの歴史的な分類と考察、興味深いお話をありがとうございました。

(2022.5.23[Mon]記載)


第159回(2022年3月17日)

■ テーマ:「現役国家公務員が地域活動に飛び出してみた」〜地方自治の理論と実践〜
■講師: 小川大介(おがわ だいすけ)さん((一財)地方自治研究機構 調査研究室長)※総務省から出向

小川さんは総務省に勤務される現役の国家公務員で、現在は地方自治研究機構に出向されています。関東や九州各地を転勤され、多摩市に居を構えられて7年になるということです。

地域においては、多摩地域広域の自治体職員の勉強会「タマガワ・リーグ」や多摩市の若者会議のコアメンバーとして参加されるなど、多彩な活動をされています。今回のお話は、総務省という地方自治に係る様々なお仕事をされる国家公務員という立場で、自治体の地域活動にご参加される中で感じられたことをお聞きし、地方自治、住民自治とは何ぞやという素朴な疑問に対して議論を深めようというテーマです。

お話は、総務省の役割や地方自治、自治体戦略2040などから始まり、地方公務員の副業・兼業、多摩市の自治推進委員会や「地域委員会構想」について、そして小川さんが地域活動に関わるきっかけ・・・と大きなテーマから多摩市の具体的な自治政策や個人的な関りまで幅広い内容でした。

総務省は旧総務庁、自治省、郵政省の3省庁が統合された役所です。役割は旧省庁単位で分化されており、自治省系の業務は地方自治法、地方交付税法、地方税法に関わるもので、大半の業務が制度設計に関するもの(団体自治)であり、総務省職員は地方自治体への出向により自治体の実情を学ぶということだそうです。

地方自治は憲法の第8章に定められ、「団体自治」と「住民自治」の概念が規定されています。「団体自治」はいわゆる地方公共団体に関わること、「住民自治」は住民の政治参加、選挙権や直接請求権などに関わることということができます。住民に関わることは基礎自治体(市区町村)が担うものとされ、地方自治法では”地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない”と『市町村優先の原則』が謳われています。財政規模も地方自治体が約6割と国を上回っています。

国と地方の関係は主従ではなく役割分担が基本です。平成12年施行の地方分権一括法では、国と地方自治体は上下・主従の関係から対等な関係となり、機関委任事務(国の事務)が廃止され、これに伴い国の自治体に対する包括的な指揮監督権が廃止されました。

最近の地方自治に関わる話題として2点、一つは「自治体戦略2040構想」です。高齢者人口がピークとなるおおむね2040年頃に自治体が抱える行政課題を整理し、今後の自治体の在り方を展望し、課題解決に向けた対応策を検討しようとするものです。大変興味深いのですが、内容が多岐にわたり、奥深いものになっているので、ここではキーワードをいくつか紹介するにとどめます。

迫りくる我が国の内政上の危機とその対応として、@若者を吸収しながら老いていく東京圏と支え手を失う地方圏、A標準的な人生設計の消滅による雇用・教育の機能不全、Bスポンジ化する都市と朽ち果てるインフラの3点が指摘されています。

そして新たな自治体行政の基本的考え方として@スマート自治体への転換、A公共私によるくらしの維持、B圏域マネジメントと二層制の柔軟化、C東京圏のプラットフォームの4項目について提言されています。

さらに内容を知りたい方は、総務省の「自治体戦略2040研究会」のWebサイト(
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/jichitai2040/index.html
)をご覧になってください。

二つ目の話題として取り上げるのは「公務員の副業・兼業」ということです。地方公務員法では地方公務員の副業は許可制となっていますが、最近は地域社会のコーディネータとして公務以外の場で活動することが期待されるようになっています。神戸市をはじめとして先進的な自治体では、許可基準を明確にして社会貢献のための兼業を促進している自治体もあります。

兼業による社会貢献活動への参加を通じて、実際の公務にその経験や培われたスキルを活かすことが重要だと小川さんは言われます。小川さんは令和元年から多摩市自治推進委員会の副委員長として「地域委員会構想」に携わっておられます。「地域委員会」は多摩市がめざす「市民・地域と行政の協働のしくみづくり」を具現化するため、国の地域共生社会の実現(厚労省)、地域運営組織の形成(総務省)、公共私の連携(地方制度調査会)などの動きも踏まえて、住民自治を充実させていくための制度として考えられています。
地域委員会は、地域担当職員、地域福祉コーディネータ、中間支援組織から構成され、地域の中をつなぐためのプラットフォームづくりやプロジェクトごとの多様な活動を行い、地域における人材の掘り起こしや課題解決に向けた実践的活動を生み出していこうとするものです。

実際の活動においては中間支援組織の役割が重要となり、小川さんも関わっておられる多摩市若者会議は中間支援組織として活動しています。また、「多摩市エリアサポーター制度」として市職員が地域担当として関わり、地域の中での課題を把握し、プラットフォームをつなぐとともに、市役所内の縦割りの組織をつないでいく役割も期待されています。

小川さんが、地域活動に関わるようになったのは、住民自治を知りたいという建前とは別に、独身中年男性として孤立したくないと思っていたところに、自治大学校での自治体職員の方との研修がきっかけで、業務以外に学ぶ機会をつくりたいと思うようになったことだそうです。《人間関係のわらしべ長者》とスライドのタイトルに記載されていましたが、それからの活動は、タマガワ・リーグから多摩市職員の自主勉強会への参加、タマガワ・リーグの幹事メンバーとして活動していく中での人間関係の広がり、多摩市若者会議への参加とその中での様々な人との出会い、・・・と、まさに『人間関係のわらしべ長者』のようです。

地域活動を通じて感じたこととして、多摩市の人は暖かく自分以外のものに対する寛容性がある。国家公務員や都道府県職員は地域活動に参加すべきで、自分が住民として感じることを政策に反映すべき。多数決を原則とする民主主義から取り残される人、行政だけではカバーできない「ひとりひとりの幸福追求」に中間支援組織の役割が重要ということを挙げておられます。

最後に地域でこれから取り組んでいきたいこととして、若者会議で取り組んでいるストリートビュー撮影のドキュメンタリー映画づくり、アダプト制度を活用した遊歩道での野菜づくり、そして、地域で「幸せを繋ぐ人」、多摩市での講演な出会いの「恩送り」をやっていきたいそうです。

小川さん、多方面に渡る興味深いお話をありがとうございました。

(2022.3.22[Tue]記載)


第158回(2022年1月20日)

■ テーマ:「 どうして’’けぇどの会所’’をつくろうと思ったのか?」〜私がまちづくりの活動から学んだこと〜
■講師: 小林攻洋 (こばやし こうよう)さん(元稲城市職員、NPO法人市民サポートセンターい なぎ理事、コレクティブハウス聖蹟大家)

小林さんは多摩市関戸在住で、1973年に稲城市役所に入庁し、広報公聴、生涯学習、福祉、企画などに携わってこられましたが、在勤中から市民によるまちづくり活動グループの設立や運営に関わり、退職後も様々な活動に精力的に取り組んでこられました。
また、ご自身の土地を活用して、2009年に大栗川沿いにコレクティブハウス聖蹟、2020年に旧鎌倉街道沿いの行幸橋交差点そばに出会いと集いの場所「けぇどの会所」・「けぇどの長屋」(賃貸住宅6室)を開所しました。
「けぇどの会所」・「けぇどの長屋」は旧鎌倉街道沿いの約750uの敷地に建ち、「けぇどの会所」内はギャラリー、茶の間、キッチンなどで構成され、北側には気持ちの良い「木漏れ日デッキ」、道路沿いには「桜のひろば」があります。
今回は「けぇどの会所」にかける思いとそこに至るまでに小林さんが関わってこられた様々なまちづくり活動についてお話いただきました。

まずは、「けぇどの会所」にかける思い・・・
キャッチフレーズは、〜ヒト、モノ、コトが出会い、日常の暮らしをちょっぴり豊かに〜で4つの柱からなっています。
●建物の名称がなぜ「会所」なのか?
「けぇど」とは、昔「街道」のことを「けぇど」と言い、小林家の代々の屋号にもなっているそうです。また、「会所」は鎌倉時代には身分の上下に関わらず人が集って連歌、茶会などを楽しむ文化的空間であり、さらに江戸時代には町の共有空間としてまちの拠点の役割を果たしていたそうです。文化的空間であり、まちづくりの拠点として、現代の「会所」を目指す思いがこのネーミングに込められています。
●まちの縁側になってほしい!
キャッチフレーズにもあるように「ヒト、モノ、コトが出会う」場として、昔身近にあった「縁側」を目指していています。このコンセプトは小林さんが敬愛する、まち育ての研究・実践者として活躍された故遠藤安弘氏が提唱された取り組みでこれに触発されたとのことです。
●みんなで育てていく空間であってほしい!
大家の小林家が運営するのではなく、集う人がみんなでこの空間を魅力的なものにしてほしい、一緒に汗を流して育ててほしいという思い、これが具体的な運営コンセプトの重要なポイントにもなっています。
●会所を楽しみ尽くすために「連」のような仲間がほしい!
「連」とは江戸時代は俳諧を楽しむ「サロン」のような集まりで知られていますが、調べてみるとこれも「庶民や武士など身分を超えて集まる組織」だったそうです。小林さんからも、今あるのは地域の「神輿連」のように「対等な仲間同士がつきあうグループ」と説明がありました。この思いも現代版「連」として会所の運営を支えるメンバーシップの会としてスタートしているそうです。

会所の運営については、コロナの影響もあり本格スタートが遅れたそうですが、コーディネートチーム、メンバーシップの会を中心にした運営体制も整い、趣旨に共感する方への「茶の間」(ワークショップや勉強会など)やキッチン(仲間内での食事会、小商い用のキッチン使用など)などの貸し出しや様々なプロデュースイベント(ギャラリーでの展示・販売、エコマーケットなど)が動き出しています。

さて、小林さんは様々なまちづくり活動に関わってこられましたが、これらの活動での体験が「けぇどの会所」開設のヒントとなり、また最終的な結論であるとのことです。
今回は、まちづくりに目覚めるきっかけとなった『いなぎエコ・ミューゼ』の立ち上げ(1997年)、その後の『NPO法人市民活動サポートセンターいなぎ』、『NPO法人いなぎ里山グリーンワーク』、『コレクティブ・ハウス聖蹟』、そして、関戸地区の地縁活動として関わっている『まち育てネットワーク関戸・一ノ宮/小中学校行事、関戸楽園祭/自治会/サロン』について沢山の写真とともに紹介していただきました。
お話を通して、様々な年齢、立場の方々が関わる活動の様子、それぞれご苦労もあったと思いますが、何より小林さんご自身が楽しんで関わってこられたことが伝わってきました。また、これらのまちづくり活動の中でも、地縁活動(例えば祭りや接待所)でも、「食」が人をつなげるシーンとして重要であるという思いが「会所」の「茶の間」に活かされているようです。

土地を所有されている方には相続税など悩みや苦労もありますが、収益重視の「不動産活用」ではなく、「土地は先祖が残してくれたもの」「不動産を地域の中で活かして価値がある」「(コレクティブハウス聖蹟の例では)居住者が磨いて付加価値をつけてくれる」という言葉が大変印象的でした。
旧鎌倉街道沿いに立つ蔵風の建物、「あれは何だろう?」と気にしている方も多かったようですが、今回その謎も解け、「是非、行ってみたい!」「行きます!」という声も聞かれました。現在は、主に「金、土、日、月」オープンとのことですが、下記HPでギャラリーでの企画展示なども確認できます。
*「けぇどの会所」 https://www.kdonokaisho.com/

今回は、これまでの木曜サロンで聞く機会がなかった稲城市でのまちづくり活動も紹介していただきましたが、ここでは詳しく書くことができませんでしたので、現在の各活動のHPなどをご紹介させていただきます。

*いなぎエコ・ミューゼ:いなぎエコ・ミューゼへようこそ! http://pondoragon.com/
*NPO法人市民活動サポートセンターいなぎ:特定非営利活動法人 市民活動サポートセンターいなぎ https://i-inagi-support.org/
*NPO法人いなぎ里山グリーンワーク:NPO法人いなぎ里山グリーンワーク http://www.inagi-greenwork.com/
*コレクティブ・ハウス聖蹟:コレクティブハウス聖蹟
https://www.collectivehousing.jp/single-post/chseiseki_vacancy

2022.1.30[Sun]記載)


第157回(2021年11月18日)

■テーマ:「多摩ニュータウンの開発前・後の災害を考える。」〜特別展「災害と多摩」で扱った事例を通じて〜
■講師:橋場万里子 (はしば まりこ)さん(公益財団法人多摩市文化振興財団学芸員 )

橋場さんはパルテノン多摩の学芸員として『武蔵国一之宮』『関戸合戦』『アニメーションと多摩』『災害と多摩』『ニュータウン誕生』などの展示を担当してこられています。今回は、その中から2017年の特別展「災害と多摩」での調査事例から、多摩ニュータウンに関連する土砂災害と水害について紹介していただき、土地の大規模改変を経た多摩ニュータウンでは、開発前と後で災害のあり方はどのように変化したのか、また多摩ニュータウン開発以降のさまざまな課題などの話題を提供していただきました。

開発前の土砂災害として明治8年の暴風雨に伴う記録が残っており、寺方や落合地区での被害や、白山神社では土砂崩れにより平安時代のものと思われる十一面観音が出土したという記録もあるそうです。

多摩地域には、土砂崩れ、山崩れを表す「びゃく」という地名があったとのことです。唐木田の現大妻女子大学近辺には「大びゃく谷戸」という地名がありました。また鶴牧西公園の川井家そばの山林は、峰岸松三氏の記録によれば関東大震災で崩れ「びゃく山」と呼ばれていたそうで、この山林は現在も昔の地形が残されています。

関東大震災では、人家の多い谷部での家屋の崩壊や橋の崩壊などの記録が多いが、山の上の寺社の被害や連光寺の集落が崩壊したという記録もあり、記録にはあまり残されない山間部での被害や土砂崩れもあったのではないかと推定されます。

多摩ニュータウンの開発前は土砂災害が多かったものが、造成により危険な谷が埋め立てられて、土砂災害の危険性は低くなったのではないかと想定されます。東京都の土砂災害計画区域マップを見ると、崩壊危険区域は近接する町田や八王子の丘陵地に比べると格段に少なくなっており、多摩ニュータウンでは自然地形の危険区域はほとんどありません。

明治以前の水害については、多摩川の記録は多く、大栗川も残っていますが、乞田川に関する記録はほとんどありませんが、安政6(1859)年の「多摩川洪水記」に乞田川の記述がみられます。

多摩市域にも大きな被害をもたらした明治43年の水害を記録した『東京府洪水記念図』(多摩市デジタルアーカイブで閲覧可能)でも、川の存在すら記録されていません。しかし、伝承記録としては「毎年台風により川があふれた」、「稲がみずに浸かった」という記述があり、また、橋や道路の決壊被害の記録も残っていることから、乞田川も毎年のように洪水の被害があったと想定されます。昭和になると昭和33(1958)年の狩野川台風、昭和41(1966)年の4号台風による洪水の記録が残っています。

乞田川の河川改修は、多摩ニュータウンの開発とともに昭和44年〜50年にかけて実施されています。しかし、それ以前の航空写真を見ると、昭和30年代初めにはすでに河川改修が行われており、昭和36年の改修流路は、ニュータウン開発後の流路と異なることが分かります。昭和33年や41年の洪水被害の図も、その当時と河川の流路と照らし合わせてみなければならないということが分かります。

多摩ニュータウンの開発後は、乞田川の洪水被害はほとんどなくなり、大栗川合流部に近いあたりなど限られた場所で小規模な被害がみられるばかりになっています。

橋場さんは、多摩ニュータウンの開発により、土砂災害や洪水をひこ起こす地形などの自然条件が改善され、大きな災害の発生はみられなくなったが、微地形や土地条件による災害発生やインフラの老朽化に伴う被害の発生などは今後留意していく必要があるということ、また、開発前の旧地形がニュータウンに与えている影響は不明だが、開発当時の地形と対照しながら災害の様子を見ていくことも必要ではないかと、まとめとして指摘されています。

報告の後、多摩ニュータウンの大規模造成地は、関東大震災のような大規模直下型地震を経験してないなかで、安全性はどうか。また、乞田川の河川改修がニュータウン開発前と流路が異なるのは、西武による開発によるものではないか。これからは災害時のSNSによる様々な声を分析することも有効な方法になりうる。富士山噴火による災害記録はないかという疑問に対し、宝永噴火では火山灰が9p積もったという記録があること。などなど、参加した皆さんと活発な意見交換ができました。

(2021.11.30[Tue]記載)


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