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第166回(2023年5月18日)

■テーマ:「まちづくりに求められる若者たちが思うことと、やりたいこと」
■講師:高木 康裕(たかぎ やすひろ)さん( 合同会社MichiLab 業務執行社員(本業は証券会社・IT企業の人事・事業企画職))

高木さんは多摩市出身の3人の子育てに奮闘中の39歳ということです。都内IT企業および証券会社に勤務する傍ら、合同会社MichiLabの業務執行社員もやられ、多摩市の子ども若者総合支援条例策定の市民委員や第六次総合計画審議会の委員にも名前を連ねられるなど多忙な日々を送っておられます。

多摩市若者会議には設立当初から参加され、合同会社MichiLabは以前木曜サロンでも話題提供していただいた高野義裕さんを代表に高木さんとの二人のコンビで運営しておられます。

本日の会場の未知カフェ(MichiCafe)は若者会議に参加していた学生の発案を実践、事業化したもので、若者の交流拠点、地域や企業との交流拠点、まちづくりの活動拠点をコンセプトとして運営されています。設立資金はクラウドファンディングで215万円を集め、DIYにより手作り感一杯の雰囲気になっています。開店の1年目にコロナ禍に遭遇し大変苦しい時期をしのいで来られましたが、幸い比較的廉価な家賃でランニングコストを抑えながら運営を続けておられます。

普段は高木さん自身が店長をやっておられますが、1日店長方式でだれでも店長として、提供するメニューやイベント・展示などの企画、運営も自由にやれるということです。小学生向けのプログラミング教室、ヴェルディやベレーザのゲームのパブリックビューイングなどのイベントやモバイル屋台で地域のイベントに未知カフェの出前出店などの事業を手掛けておられます。若者会議としては多摩市の遊歩道や公園のGoogleストリートビューの撮影もやっておられます。

若者会議の活動も、市の事業としての若者会議が3年、MichiLabに運営主体を移して4年と7年になりますが、主な活動としては、未知カフェの運営、メンバーの提案による事業などの自主事業と、多摩市や地域の団体からの受託事業があります。自主事業に力点を置きたいところだが、実態としては受託事業により資金を賄っているのが実情だそうです。自主事業は主に身内だけの事業であり、やりたい人に任せることになるが、受託事業は対外的な責任もあるのでコアメンバー、主要メンバーが中心となって実施しているそうです。

若者会議には10代、20代から30代まで、小・中学生、大学生、社会人と幅広い世代の若者が参加されていますが、多くの若者に共通するのは事故は確立して七敷きも豊富だが集団の中での自己表現が苦手。提案力・発想力はあるが実践したり、実現に向けた調整は不得手。ITリテラシーは高く使いこなす能力はあるが、他者と協力して物事を進めることが苦手。といった特徴があるようです。

高木さんたちは、参集する若者たちに、異なる人たちとの対話を楽しんでほしい。意見の違いや他人との相違を個性として認識し、自分に自信を持ってほしい。失敗を恐れずチャレンジしてほしいと、期待を込めて励ましておられます。

7年目を迎え、市内のいろいろな団体からの声掛けや協業の話も来ているそうで、地域に興味を持つ若者が気軽に参加できる場所であり、それぞれの興味を育み、各自が求める地域活動に参加できるきかっけとなるような場としたいということです。未熟で稚拙な部分もありメンバーの成功も失敗も含めて地域や関わっていただいた人たち若者会議は育てられている。今後は高木さんたちの次の世代の若者に、地域の人たちに信頼されるように育っていってほしいと、若者会議を卒業するに当たっての思いを語っておられました。

高木さん、興味深い話をありがとうございました。また、代表の高野さんには自ら機器を操作していただき、スムーズなハイブリッドでのサロンを実施することができましたことを付記しておきます。ありがとうございました。

(2023.5.26[Fri]記載)


第165回(2023年3月16日)

■テーマ: 「多摩ニュータウンの団地設計アーカイブ(山工房の仕事)について」
■講師: 山田 正司(やまだ しょうじ)さん( (株)山設計工房相談役、登録建築家、多摩市在住 )

山田さんは、1974年にご自身の設計事務所「山設計工房」を設立されて以来、多摩ニュータウンの集合住宅建設に長く、深く関わってこられました。ニュータウンの集合住宅への強い思いから、70歳を目前にしたころ、それまで長く住んでこられた多摩市郊外のご自身の設計による戸建て住宅から、自ら手がけられたタウンハウス諏訪に移ってこられました。タウンハウス諏訪で住民の立場で暮らし、管理組合役員も経験してこられました。その経験から、居住者が自らのまちをよくするためには、団地の計画や設計意図を知り、理解することが大切であると実感され、ご自身の関わってこられた集合住宅、団地の設計や街づくりのアーカイブを残すことを決意されたということです。

日本住宅公団(現UR都市機構)の多摩ニュータウンの事業は、主に宅地開発事業を担う「多摩開発局」と住宅建設を行う東京支社が行ってきましたが、山田さんは、立場の異なるこの両者から請け負って作業できたことが、今回のアーカイブの資料に大変役立っていると言われています。

多摩ニュータウンの事業は、長い時間をかけて時代の変化に応じながら、時代を読み解き、その時代に適応した設計条件のもとに住宅団地がつくられてきました。山田さんは、特に場所を重視し、それを分析することで、立地特性を団地設計に生かすことが、ご自身の設計事務所としての大きな役割だったと評価されています。

手がけられた住宅団地は、八王子、多摩、稲城の3市、4地区の9団地にわたります。

多摩市諏訪・永山地区(タウンハウス諏訪)
多摩市落合・鶴牧・南野地区(タウンハウス落合、タウンハウス南野)
稲城市稲城地区(向陽台地区集合住宅団地、長峰地区集合住宅団地)
八王子市別所地区(堀之内駅前地区集合住宅団地、エストラーゼ長池、見附が丘地区集合住宅団地、レーベンスガルテン長池)

アーカイブにはこれらの9つの集合住宅団地のコンセプト、計画段階の様々な検討資料が美しいパースやイメージ図などをふんだんに盛り込んで、詳細に掲載されています。その内容について山田さんからお話ししていただきましたが、ここでは簡単に各団地計画の特徴やエッセンスをご紹介します。

@タウンハウス諏訪(1974〜1978年、1.1ha、58戸)
タウンハウス諏訪は1974年から78年まで4年間の検討を経て行われました。ご存じのように、公団のタウンハウスの先駆けとなった団地です。当該団地が建設されるころには量から質へと住宅需要が変化しており、公団住宅においても床面積の増加や居住水準の向上、多様な団地景観などが求められるようになっていました。公団では住居専用地域における低層の都市型高密度団地(タウンハウス)の模索が始まり、事務所を開設されたばかりの山設計工房をはじめ4社に検討設計が委託されたということです。その後、景観イメージの作成検討、イメージ提案を具体化するための、立川幸町団地をモデルとした試設計を行い、『専用敷地を小さくし、代わりに豊かなコモンスペースを確保し、全戸が接地型でコモンスペースに面する配置とする』 という、公団タウンハウスの設計思想が確立されました。
1976年に諏訪地区の敷地で公団のタウンハウスの設計が開始され、1979年に初入居に至ります。タウンハウス諏訪の特徴は南北に細長い敷地に3つの15戸程度のコモンを配置し、中央の南北の歩行者軸に沿って集会所と開放型のコモンを配置しています。

Aタウンハウス落合(1979〜1981年、1.82ha、116戸)
落合・鶴牧エリアは、住宅需要の質的転換や環境重視の時代ニーズを踏まえ、多摩ニュータウンのこれまでの計画概念を大きく転換した地区です。地区の3つの近隣公園と一つの地区公園や街区公園などからなるオープンスペースをリング状につなぎ、基幹空間という空間構造の概念を構築しました。この基幹空間に囲まれたエリアに、個性的な3つの低層集合住宅団地を配置するというものです。その一つがタウンハウス落合になります。
基幹空間を構成する公園に面する住棟は、勾配の異なる赤い三角屋根が変化のある景観を創り出しています。

Bタウンハウス南野(1983〜1985年、0.3ha、18戸)
尾根幹線外側の区域で、駅からも遠く、限りなく戸建てに近い集合住宅ということで計画した団地です。当時は戸建てへの住宅ニーズも大きくなっており、ツーバイフォー工法による木造のタウンハウスとして、二重の戸境壁で敷地も個別登記としました。小規模ですが当時の公団としては大変意欲的で稀有な団地です。

C向陽台地区集合住宅団地(1984〜1987年)
公団多摩開発局からの委託を受けて、向陽台地区のマスタープラン(整備計画)の作業を行いました。比較的大ブロックで傾斜のある敷地であり、団地計画にはかなりの工夫が必要でした。向陽台地区の集合住宅用地約10haに、公団の分譲、賃貸、都営、民間のマンションを配置するミクスドコミュニティの計画で、低地部の生活環境軸の周りに戸建て、その外側に地形の傾斜に沿って低層、中層,高層の集合住宅を配置するというミックス配列構造が特徴です。
整備計画作成の後、公団東京支社の委託でリベレ向陽台の集合住宅設計を行いました。整備計画の段階から戸数は1.5倍に、容積も大幅にアップしています。

D長峰地区集合住宅団地(1990〜1994年)
多摩開発局からの委託で、長峰地区集合住宅地の空間構成検討調査を実施しました。長峰地区は、稲城市の緑のマスタープランのテーマとなっている「緑の輪構想」の拠点となる地区であり、南斜面の眺望も優れた環境を有しています。このような特性を活かし、日常と余暇の融合を目指した「ライフリゾート」とすることをコンセプトとし、低建蔽率化とまとまりのあるオープンスペースの確保などを基本方針としています。
整備計画の超高層住宅案は、実際の団地設計では14階以下の高層住宅となり、スーパーブロックを生かしたオープンスペースは、東西方向のコミュニティゾーンと、二つの南北方向のグリーン軸からなる「スーパーコミュニティグリーン構造」を特徴としています。

E堀之内駅前地区集合住宅団地(1987〜1990年)
堀之内駅と住宅地の間は20mに高低差があり、法面面積が地区の4割をしめるような大変難しい条件の地区です。駅に近接した斜面地に如何にした住宅を入れるか、高低差処理に様々な提案工夫を検討し、相当数の住宅戸数を確保しました。駅前広場と住宅地をエスカレータ(現在は撤去されています)や斜行エレベータでアクセスを確保しました。駅前という立地から景観や賑わいの面でも、αルーム、ライブ・ピット(独自の集会施設)なども提案しています。

Fエストラーゼ長池(1989〜1991年、2.4ha、250戸)
公団多摩開発局の発注で東京都の協力も得て、エストラーゼ長池及び別所第2団地のエリアの整備指針を策定しました。堀之内駅周辺と長池公園周辺の里山構想の間、東側は府中カントリーに連なる保存緑地、西側は別所公園や街区公園など、緑豊かな眺望に恵まれた立地条件を有しています。このような条件のもとに、開発コンセプトを「緑の丘の集合住宅」、サブコンセプトを緑に映える勾配屋根を統一コードとした「いらかの里」と設定しました。
エストラーゼ長池は、自然緑地に沿った塔状のツインタワーと雁行の低中層棟、ゆるやかな大階段と通り抜けピロティなどを特徴としてます。

G見附ヶ丘地区集合住宅団地(1991〜1995年)
別所地区は堀之内駅前の都市核と長池周辺の自然核、これらを結ぶせせらぎ遊歩道を軸とする「二核一軸構想」をかかげています。見附ヶ丘地区はせせらぎ緑道に面する三つのブロックからなる約8.5haのエリアです。ここに都営住宅214戸、公社分譲住宅135戸、公団賃貸288戸、公団分譲212戸のミクスド・コミュニティによる”いきいき街づくり”を目指すものとしました。
このうちのコープタウン見附橋は東京都住宅供給公社からの委託で、配置計画から基本・実施設計、工事監理まで一貫して業務を実施しました。
四谷見附橋のレンガ造りの景観との調和を意識した設計にしています。

Hレーベンスガルテン長池(1994〜1996年、2.82ha、260戸)
長池公園の西側に接する高台にあり、西側は南大沢方面の眺望が開ける立地にあります。住宅供給の主体は民間にゆだねるという方向に変わりつつあり、公団の住宅建設も最後の時期になっていました。レーベンスガルテン長池は、長池の自然環境にふさわしい自然派志向の需要層をターゲットとして、クラインガルテン(菜園)を有する団地としてアピールしました。住戸は全て半屋外空間として
専用庭やルーフバルコニーを設けているのが特徴です。
山田さんは、タウンハウスに住んでみて、住民は高齢化しているし、当初入居者は少なくなっているが、環境にはとても満足しているとおっしゃっています。改めてニュータウンの団地の公共性、社会的意義ということを感じます。ニュータウンは時間をかけて、時代の変化に合わせ、多大なエネルギーを注いで作ってきたものです。都市基盤も居住水準はナンバーワン、団地の個性や多様性もオンリーワンです。周辺の桜ケ丘や橋本、町田などとの連携も図りながら今後の可能性には期待していると言われています。

参加された皆さんとの意見交換では、多摩ニュータウンにタウンハウスという住宅形態を導入した経緯などの話しも聞けました。また、山田さんの手がけられた団地を始めとする多摩ニュータウンが実現してきたこと、価値の再評価することの必要性、さらに居住者にニュータウンの価値や計画理念が伝わるようにしていくことが重要などの指摘もありました。若い世代の参加者からはあらためて多摩ニュータウンの良さを実感することができたとの声もありました。

山田さんのアーカイブの成果は、今回の参加者の皆さんの協力で、パルテノン多摩や多摩市を初めとする公共図書館に置いていただけることになりました。

山田さん、大変貴重で興味深い話をありがとうございました。膨大なアーカイブの資料の内容をお聞きするには時間が足りず、また、つたないまとめで、十分なご紹介もできず申し訳ありません。

(2023.3.28[Tue]記載)


第164回(2023年1月19日)

■テーマ:「 今後の多摩ニュータウンのまちづくりについて 」
■講師: 陰山 峰子(かげやま みねこ)さん( 多摩市副市長)

陰山さんは、昨年4月から東京都からの出向で多摩市の副市長に就任され、市民経済部、子ども青少年部、都市整備部、環境部を所管されています。東京都では、管理職として都市整備局や住宅政策本部に席を置かれており、買い物難民への対応が課題となっていた時に、多摩市から都営住宅でのスーパーの移動販売を相談され、愛宕団地で都営住宅における移動販売の制度化を実現したり、都市計画課長時代に南多摩尾根幹線の都市計画変更に携わったことなどが多摩市との関わりとしてあったということです。

多摩市は市政50周年を迎え、今後の都市の在り方を検討していくうえで、様々な計画の改定作業を進めているところであり、これらの改定状況や計画内容について話題提供していただきました。

〇総合計画について
現在の第五次総合計画は2011年に策定した20年後を目標とする基本構想、2019年から10年間の第3期基本計画であり、第3期基本計画は「健幸まちづくりのさらなる推進」を基礎となる考え方、全庁横断的に取り組む課題として策定されています。
現行計画の策定から10年が経過し、様々な情勢変化にも対応する必要性から、新たに基本構想から作り直すことにしました。”健幸都市”の考え方を基本構想にも取り込み、これまで基本構想は20年後を目標としていたものを、新構想では10年後を目標として想定し、時代の変化に柔軟に対応していくものとしてます。

昨年7月に15名の委員からなる審議会を立ち上げ、”成長”、”安心”、”多様性”、”循環”、”関係”、”場”などをキーワードに、仮の将来像を「みんながそれぞれ安心と成長をずっと続けられるまち たま」として分野別の将来像を検討しているところです。10月には関戸、永山、多摩センターで市民ワークショップを開催し、そこでの意見もフィードバックしつつ検討を進めています。今後、4月ころには基本構想の素案をまとめ、パブコメ、市民説明会を行い、9月議会で議決、12月には基本計画と合わせて総合計画として決定する予定です。

〇都市計画マスタープランについて
平成25年に策定された現行の都市計画マスタープランは、総合計画の見直しに合わせ令和7年3月の改定を予定し本年度から作業を始めています。改定の視点として、「健幸まちづくり」の考え方をハード面に反映させること、「多摩ニュータウン地域再生ガイドラ
イン(東京都、H30)」に基づくことがあります。都市計画関連の視点としては、「ウォーカブルなまちづくり」「リ・デザイン」「脱炭素型まちづくり」「復興まちづくりの事前準備ガイドライン」などがあげられます。また、社会経済情勢の変化として、新型コロナを踏まえた生活様式の変化やSDGsの取組みを考慮する必要があります。

昨年10月に市民意向調査を実施、今年2月まで意見募集を行っています。令和5年の秋から冬に地域別の市民ワークショップや説明会を開催して、令和6年夏ごろに原案の説明会やパブリックコメントを実施し、令和6年度中に策定する予定で進めています。また、並行して、市内産業の総合的な振興施策を検討するため、「(仮称)産業振興マスタープラン」を令和5年から6年にかけて策定することになっています。

〇ニュータウン再生について
平成25年度に多摩ニュータウン再生検討会議を設け、「多摩ニュータウン再生方針(平成28)」を策定、その後、市民委員も含めた多摩市ニュータウン再生推進会議に会議体を変え、平成30年2月に「多摩ニュータウン リ・デザイン諏訪・永山まちづくり計画」を策定、さらに、令和2年度から検討を進めてきた「愛宕・貝取・豊ヶ丘地区等まちづくり計画」と「南多摩尾根幹線沿道土地利用方針」を今月中に公表する予定です。

諏訪・永山地区は第一次入居地区であり先行再生地区として位置付け、永山駅周辺再構築、分譲団地再生、公的賃貸住宅団地再生、周辺環境整備など6つのリーディングプロジェクトを定めて進めています。

愛宕・貝取・豊ヶ丘等地区では、”短期的には小さなアクション(実証実験等)の積み重ねにより、地区の魅力の向上と課題解決を図る。”という方向性のもとに、住宅ストック活用、分譲住宅再生、賃貸住宅再生、近隣センター活性化、移動の円滑化、公園・遊歩道活用の7つのリーディングプロジェクトを定めて進めていくものとしています。

南多摩尾根幹線沿道土地利用方針では、”多様な機能集積による沿道拠点化を図ることにより、若年層・子育て世帯を呼び込む”という目標のもと、産業・業務集積、暮らしを支える機能の充実、職住近接の実現、体感型の賑わい・魅力発信、次世代交通モードへの対応、新たな暮らしを創造するイノベーション環境の6つの基本方針を定めて進めていくこととしています。

ニュータウン再生については、外部からはなかなか動きが見えにくいと感じているところであり、具体的でわかりやすく動きを見えるようにしていく必要があると考えています。

〇多摩センター地区活性化に向けた取組みについて
多摩センター地区では、令和4年7月にパルテノン多摩のリニュアルオープン、中央図書館が令和5年7月オープン予定、これに合わせてレンガ坂のリニューアルが竣工、中央公園もPFIにより今後改修工事を行い、令和7年1月にオープン予定となっています。また、令和4年3月には公園内施設を中心に連携して活性化に取り組むため、多摩中央公園・多摩センター連携協議会が設立されています。これらの施設整備の完成に合わせて、令和6年度をめどに多摩センター地区の将来ビジョンを策定することとしています。

ビジョン策定に向けた行動指針のポイントを「まちづくりからまちづかいへ」として、庁内や市内企業の若手メンバーで構成する実行委員会を設け、まちづかいの声を集める活動を始めながら、一緒にプレイヤーとして関わっていただける方も集めています。今年度、仮のビジョンをまとめ、来年度以降、社会実験によりビジョンの検証を行い、ハードを含めた行政戦略をまとめる予定です。

ほかにも、「みどりと環境基本計画」の改定、庁舎建て替え基本構想・基本計画、地域福祉計画の改定などの作業を進めています。

陰山副市長のお話しのあと、参加者との活発な意見交換ができました。その一部をご紹介します。

・社会実験やワークショップはとても大掛かりで楽しいものであったが、社会実験の結果を受けた市の政策は、必ずしもそれらを反映したものでもないものが多々みられる。社会実験やワークショップの解釈のしかたが大切。

・京王プラザの撤退など多摩センター地区の価値が下がっていることの現れではないか。
・先進的な多摩ニュータウンの事業では素晴らしいインフラの整備が行われたが、これを受けとめる市の維持管理が貧弱では、せっかくのインフラの価値がなくなってしまう。

・どういうまちにしていくのか、基本的なビジョンを見出していかないと中途半端なものになりかねない。尾根幹線沿道の土地利用においても、誘致する機能のエネルギーをまち全体にどうつないでいくかが見えない。

・正解のない問題という言葉があったが、公団・URのまちづくりでは、ある意味で正解を与えてくれている。これらを継承し、未来につないでいくことが重要ではないか。

・モビリティは多様化しており、来年度検討される自転車歩行者のルール作りにおいては、多摩市全体のモビリティの問題ととらえて検討してほしい。

・まちづかいとして市民の声ばかりでなく、実際に資金を提供し事業を行う事業者の声も重要である。

・リニアを見据えたとき、都市間競争に打ち勝つためにはビジネス誘致の視点が重要ではないか。賑わいや働く場の集積が都市の魅力につながる。

・様々な計画立案において、まちの実情を理解していない外部のコンサルタントをつかうのではなく、市内の専門家やプロフェッショナルはたくさんいるので、これらの人材を組織化するなどもっと活用することを考えてほしい。

陰山さん、お忙しいところ大変ありがとうございました。意見交換では手厳しい声もありましたが、直接市民の方々と話しをしていただく機会を設けることができて、よかったのではないかと思います。これからも、いろんな場面で意見交換ができれば幸いです。

(2023.1.31[Tue]記載)


第163回(2022年11月17日)

■テーマ:「今夏リニューアルオープンしたパルテノン多摩の概要と今後の運営について」
■講師: 垣内敬太(かきうち けいた)さん(多摩市くらしと文化部 文化・生涯学習推進課主査 )

垣内さんは、6年間の民間企業勤務から平成24年に多摩市役所に入庁、環境部で2年半従事した後、くらしと文化部に異動され多摩市文化振興財団へ出向、5年間パルテノン多摩の施設運営に携わってこられました。その後、くらしと文化部文化・生涯学習推進課で、パルテノン多摩の運営に関する業務や再開館に向けた準備業務、文化条例などを担当されています。

パルテノン多摩は、昭和62年の開館から30年が経過し、老朽化が課題となっていましたが、平成28年から大規模改修に向けて、基本計画委員会、周辺施設整備等特別委員会、ワークショップ等により市民・市議会・行政・専門家が様々な議論を重ね、令和2年6月に工事着手、令和4年7月1日にグランドオープンを迎えました。

今回は、大規模改修事業の理念・基本方針やリニューアルのポイント、さらに今後の管理運営のポイントなどについてお話ししていただきました。

大規模改修は「文化芸術を通して、みんなが喜び、つながり、まちの魅力を創造する」を基本理念に、「@豊かな文化芸術を、鑑賞し・創造する楽しさや喜びを実感する場所づくり、A文化芸術を通した新しい広場・まちの広場づくり、B多様な人々が集い、交流し、賑わうことを通し、未来に向けた地域づくり」を基本方針としています。

改修の主な項目は、(1)劣化改修、(2)安全性向上(現行法規への適合)、(3)バリアフリー化、(4)標準性能の確保、(5)機能及び利便性の向上の5点です。

施設構成は、大ホール(1154席)、小ホール(269席)のほか、オープンスタジオを設けています。貸室には、会議室や市民ギャラリーのほか、クリエイティブ・ラボ、キッチンラボ・クラフトラボを新しく設けました。その他施設にはこどもひろばOLIVE、カフェ・ライブラリーラウンジ、ロビー・ミュージアムがあります。総事業費は80億円(工事費70億円、その他費用10億円)でした。

リニューアルの主なポイントとしては、多様な演目への対応や優れた音響性能を持つ大ホール、ホールの居心地・見易さの改善、大ホールへのエレベータ設置などのバリアフリー化、稼働率を高めるための諸室の用途変更、広いロビーや子供広場など多くの人を引き付ける広場空間の確保、身近に観て、聞けて、触れることのできる自動演奏楽器などがあげられます。

令和元年から3年にかけて、基本設計・改修工事と並行して、管理運営計画、施設条例の改正、管理基準等のルール作りや指定管理者の選定を進めてきました。運営体制はこれまで多摩市文化振興財団が指定管理者となって運営していましたが、文化振興財団と民間事業者3社の共同事業体が指定管理者となって運営する体制になりました。民間3社は主に、窓口・施設運営、施設の保全・清掃、舞台運営などを担っています。また、こどもひろばは子ども家庭支援センター(の委託業者)により運営し、市民もミュージアムにおける市民学芸員、市民研究員などにより運営に参加する体制となっています。

管理運営計画の主なポイントとしては次のような点があります。

・市民の優先利用や利用時間、連続利用期間の拡充、ロビー利用の緩和などの市民利用機会の拡充
・市内中学校の利用料金の減免、施設利用者登録の年齢条件の緩和、こども広場におけるフリースペースの運営など、子どもの利用機会拡充
・延長利用に伴う利用時間超過加算、営利目的利用の料金加算、物品販売等に対する加算、ホール以外の施設の任意の時間帯での利用を可能にするなど、今後30年間機能し続けるための財源の確保
・ライブラリーカフェや2階ロビーのフリースペース、オープンスタジオやワークショップルームなどの誰もがくつろげ、気軽に利用できる居場所づくり

パルテノン多摩のアート作品について、大ホールサブホワイエの壁画(「蒼湾へ」深井隆氏作)は存置しており、小ホールの壁画(「碧イ壁ハ風ノ椅子」中村錦平氏作)をオープンにして、楽しめるようにしています。従来の2階の造作家具を撤去する代わりに同じ作家(藤江和子氏)による造作家具を設置しました。また財団が所有する、1987年にキースへリングが多摩市を訪れたときに子供たちといっしょに製作した作品の活用も行っています。

パルテノン多摩の大規模改修事業と並行して、市民の創造性や豊かな感性を育むとともに、市民が心豊かに暮らせる地域社会の実現に寄与することを目的として「多摩市みんなの文化芸術条例」を制定しました。今年度から「文化芸術に関するビジョンの策定」を開始し、アンケート調査、ワークショップを令和5年1月から2月に実施し、それらを踏まえビジョンを策定します。令和6年にはビジョンを具体化するための施策を定める計画となっています。

意見交換では
・市民交流の仕組みや仕掛けづくりなど、うまくいっている点、うまくいっていないところなど
・中央公園や図書館などの周辺施設との連携や機能分担について、
・協議会としてのCMAの役割や機能について
・市内小中学校、コミュニティセンター、市民団体等との連携やパルテノン多摩が担うアウトリーチについて
・キースへリング作品の公開・展示、さらなる活用方法について
など、活発な意見交換ができました。

垣内さんには詳細な説明資料をご用意いただき、これまでの経緯や新生パルテノン多摩の目指す方向など、とてもよくわかりました。お忙しいところ大変ありがとうございました。

(2022.11.29[Tue]記載)


第162回(2022年9月15日)

■テーマ:「多摩センター・落合・鶴牧地区のパブリックアートについて」
■講師: 小林清(こばやし きよし)さん(トムハウス運営協議会まちづくり部長 )

小林さんは旧日本住宅公団の出身で埼京線各駅前地区、光が丘ニュータウン、晴海トリトン・スクエアなどの開発業務を担当してこられました。1975年から多摩ニュータウンに居住され、現在はトムハウス運営協議会まちづくり部の部長として地域に密着したまちづくり活動に携わっておられます。

トムハウスは、多摩市の鶴牧・落合・南野地区のコミュニティセンターですが、運営協議会の活動として「まちのたからものさがし」があり、地域内外のまち歩きを通じて様々な「たからもの」を見つけ、それをマップとしてまとめられています。小林さんは、『再発見することは、まちあるきの楽しみでもあり、地域の構造を知ることができ、防災などわがまちのまちづくりを考える基本でもあります。』とおっしゃっています。

多摩センター駅から落合、鶴牧にかけての地域は、先進的な郊外型まちづくりの例として、国内外で高い評価を得ていますが、空間デザインの一環として、美術家や造形作家の数多くの優れた作品が、当初から計画的に配置され、パブリック・アートの宝庫といえる状況にあります。これらのパブリック・アートが、住まい手やまちを訪れる方にうるおいや安らぎをもたらし、地域の価値を高める重要な役割を果たします。このような、まちかどにアートがあふれたまちづくりができたのは、旧住宅都市整備公団の発注者の思いと、受け手であるプランナーやコンサルタントの感性があったからです。

しかし、まちができて45年が経過するなかで、当初のまちづくりに向けた物語性や、携わってきた人たちの思いは風化し、後世の人たちに継承されないままになっています。また、時代とともにアート作品も毀損したり、盗難にあったり、補修の過程で陳腐なものに置き換わってしまったりということが同時に進行しつつあります。

そういう危機感もあり、2018年から4ヶ年をかけて、パブリックアートの現状や製作者を掘り起こし、製作意図を探りながら記録として残し、後世に伝えていくことができればという思いから、このガイドブックが作成されました。

ガイドブックの紹介は、小林さんの案内でガイドツアーをしているように感じられました。多摩センター駅に降り立ち、パルテノン大通り、パルテノン多摩屋上のきらめきのひろばをとおり、中央公園、宝野公園、奈良原公園、鶴牧東公園、鶴牧西公園と落合鶴牧地区の特徴である緑のリングを巡って、唐木田駅まで至る道筋です。

小林さんは、この地区のパブリックアートには、とんがったものや奇をてらったものはなく、やさしく語り掛ける野仏や庚申塔のような作品ばかりだとおっしゃっています。新しい伝説や言い伝えがはじまり、アート作品が身近なあだ名で呼ばれるようなふるさとづくりにしたいという、計画者やデザイナーの思いを感じるともおっしゃっています。
いくつか、個々のアート作品をご紹介します。

多摩センター駅を降りると、重厚なデザインのストリートファニチュア(街路灯、ベンチ、橋の手摺りなど)が目につきます。統一された鋳鉄製の素材を用い、耐久性やメンテナンスフリーに配慮したものになっています。

パルテノン大通りの床には全部で22枚の絵タイルがはめ込まれています。絵タイルは、世界の都市広場が描かれており、洋画家の渡辺豊重氏の4点の作品と旧公団の職員の人たちの作品だそうです。厚さ22センチの象嵌づくりという特殊な製法の有田焼磁器タイルでできています。残念ながら渡辺豊重氏の作品のうち2枚は毀損しモルタル塗りに置き換えられてしまっています。

パルテノンの大階段の屋上に登ると、ステンレスの大パーゴラの下に3枚の巨大なモザイクタイル画がはめ込まれています。全国から集まって住むニュータウンにちなみ、日本近海の北から南の海に棲む200種の魚類を描いた「日本魚類図譜」です。洋画家の古川清右氏の原画と氏の現場での制作指導により、イタリア産の色違いの天然色の大理石、30万ピースが組み込まれています。

パルテノンの屋上にはステンレスの列柱に囲まれた池のある「きらめきの広場」がありますが、その周囲には古代中国の神話にある天の四方の方角をつかさどる、四神獣をイメージしたゲートのオブジェがあります。青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)と、そうだったのかと確かめながら見るのも面白いと思います。

鶴牧・落合地区は4つの近隣公園(宝野公園、奈良原公園、鶴牧東公園、鶴牧西公園)をリング状につないだ緑の空間が特徴ですが、その中には多くのパブリックアートがちりばめられています。なかには残念なエピソードもありますが、いくつか紹介します。

残念なものとして、奈良原公園の大きな花鉢の台座があります。当初直径80センチの大きなシャコガイの花鉢が設置されていましたが、ワシントン条約により取引が禁止され、希少価値となってしまったこともあり、設置直後に盗難に合い、固定ボルトのついた台座のみが残されています。

もう一つの残念なものに、宝野公園の2か所の時計塔があります。設置当初はデジタル時計を組み込んだコールテン鋼のオブジェでしたが、表面の黒錆で内部の腐食を防ぐというコールテン鋼の意味が理解されていなかったことから、時計の故障に伴い動物の時計塔に姿を変えてしまいました。

富士見通りには未完の彫刻台座があります。当初はブロンズ像を設置する予定だったものが取りやめとなり、台座のみ置かれています。これの有効活用を考えることは、ニュータウンに住む私たちにバトンを渡されているのかも知れません。

鶴牧東公園は通称「鶴牧山」と呼ばれ、関東平野を取り囲む山並みとニュータウンの全体を展望でき、初日の出や映画のロケなどに使われる名所となっています。鶴牧山の山頂にある大小二つの石は、「ドラキュラ親子の棺桶」と呼ばれ、”夕暮れになると棺桶を開けてドラキュラ親子が現れ、子供たちは早く家に帰りなさいという”、ニュータウンの都市伝説となって親しまれることを願っておかれました。

ほかにも、富士見通りの桜並木こしに富士山を展望できるガゼボ、鶴牧東公園のじゃぶじゃぶ池のシャコガイの台座とブロンズの鳥の彫刻、鶴牧第2公園の現代の富士塚など、興味深いものがたくさんあります。

鶴牧西公園は、雑木林を残した尾根を活かし、日本の農耕文化の継承をテーマにつくられています。ここには八木ヨシオワールドともいえるような、氏の作品がたくさん置かれています。果樹園を設けた斜面には、ところどころに水場があり、ブロンズの果樹のオブジェが置かれています。プレイロットには氏の得意とする石のオブジェがあり、氏は「ストーン」と名付けています。

唐木田駅前には、朝倉響子氏の連続作品「JILL」像の一つが置かれており、むかしの菖蒲田を偲ばせるデザインの駅舎のステンドグラスや絵タイルもあります。

最後に、誕生から成長過程を経て、新陳代謝を繰り返しているのが今のニュータウンであり、これから一部のマスコミで言われるようなオールドタウンにならないためには、どう新陳代謝をうまくやっていくかであり、自治体、住民、ニュータウン関係者の手腕にかかってくるとおっしゃっています。

また、一番貴重な「まちのたからもの」として「鶴牧山」を取り上げておられます。ニュータウンをとりまく周囲の環境の中でわがまちを見つめることのできる、視座としての場所であり、気持ちをリセットできる思索の視座でもあると評価されています。このような視座となる場所がニュータウンにつくられているということが大きな財産だといわれます。

今後のガイドブックを活用したトムハウスの事業としては勉強会やまち歩きなどが予定されています。なお、パブリックアートガイドブックは、トムハウスの窓口で、800円/冊で購入できます。ご紹介できなかった作品や、詳細な内容紹介はガイドブックでご覧いただき、ガイドブックを片手に、ぜひ歩いてみてください。

小林さん、とても楽しいパブリックアートのガイドツアーでした。ありがとうございました。

(2022.9.19[Mon]記載)


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