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2025年03月分

第177回(2025年3月20日)

■テーマ:「 多摩ニュータウンで育った人の記憶の底に残る『原風景』」
■講師:大内 俊二(おおうち しゅんじ)さん(パルテノン多摩市民学芸員・元中央大学教授)

●はじめに
「原風景」という言葉はいろいろな意味で使われますが、ここでは「大人になって子供のころ(小学校低学年くらい)を思い出す時心に浮かぶ風景を核とした心象風景」とし、個人のアイデンティティの基礎となるものと考えておきます。

私は、個人それぞれの記憶の底に残っている「風景」がこの「原風景」の核になると考え、1987〜2019年に日本全国から集まる大学生諸君に小学校低学年ころの記憶にある「風景」とそこで何をしていたかをアンケートで聞いてきました。その結果は学内誌に一部書いたりしましたが、専門外でもあって未だきちんとまとめることはできていません。それでも、それなりに興味深い傾向を見て取ることはできたと思っています。

最近は多摩ニュータウンで育った人も増えましたし、私もここに住んで40年になろうとしています。そろそろ計画的・人工的に開発された多摩ニュータウン育ちの人々の「原風景」に何か特有な点があるのだろうかといったことを考えることもできそうだと思いました。そこで、大学生を対象にした調査と同様のことを多摩ニュータウンでやってみようと思い立ったわけです。ただし、同年代の学生が多数かたまって存在する大学の場合と違って調査も人づてに少しずつ行わざるを得ず、まだ年齢もバラバラな68名から回答を得ているのみです。というわけで正確な比較は難しいのですが、これまでの結果から推測できそうなことを少しお話してみたいと思います。

●中央大学の学生のアンケートにみる原風景
中央大学理工学部の学生を対象にアンケート調査(1987〜2019年の32年間で有効回答者計5120人)を行いました。アンケートは、ごく簡単に『小学校の低学年(7〜10歳)くらいの時、どこにいたか、そのころの記憶で頭に浮かぶ風景や、そこで何をしていたか』を聞いています。

得られた回答に記された「風景」と「行動」の内容について、それぞれいくつかの項目に分けて回答者数を数え、調査年ごとの回答者全数に占める割合で表しました。これらの項目のうちほぼ10%以上を占めるものについて、社会の変化などとの対応を考察できるよう、子ども当時の年代(1976〜2008年)に置き換えて時系列でグラフ化しました。

記憶にある風景では、1980年代の初め頃までは緑や水辺に関する風景が1、2位で40〜50%を占めていましたがその後急減し、代わって公園・校庭の風景が急増して50%以上となりその後も目立った減少なく他を圧していきます。はじめは比較的多かった(30%前後)原っぱ・空き地、田・畑も、緑や水辺ほどではありませんが同時期に減少しています。ただし、緑、水辺、原っぱ・空き地、田・畑がなくなることはなく、2000年代に入っても10−20%前後は見られます。

行動について見ると、虫取り、魚・ザリガニ取りは、1980年まで40%くらいあったのがその後緑や水辺の記憶と同様に急減しています。校庭・公園に連動していると考えられる野球・サッカーなどの球技は始めからかなり多いのですが、1980年代の56%をピークに徐々に減少する傾向を見せます。記述内容から見ると、この減少傾向は球技と言っても遊びの要素が強かったころから本格的なスポーツに変化していったことを反映しているようです。自転車も減少傾向にありますが、鬼ごっこなどの子供の遊びは根強く残り2000年代には増加の傾向も見せます。校庭・公園などで球技が禁止されることが多くなった影響でしょうか。ゲームはファミコンの登場とともに急増しましたが、その後はあまり増加するわけでもなく2000年代に至っても10%前後で推移しています。回答者に聞きますと、「確かにゲームに費やした時間が長いはずだが記憶にはそれほど残っていない」とのことでした。

●社会の動きを重ねてみると
「もはや戦後ではない」といわれた1955年以降、インフラ整備が急速に進んだ高度成長時代を経て、1770年代になると人々は個人の生活の豊かさを求めるようになりました。自家用車の普及、海外旅行、整備された郊外住宅地の増加など“アメリカ風”の生活様式が1970年代以降急激に広まりました。緑、水辺の記憶が急減するのもこのあたりからですし、公園の記憶の増加も1970年代から急速に進んだ公園緑地の整備に関係していると思われます。交通事故の増加が社会問題となるころには、子どものころの記憶から自転車乗りが少なくなってきています。また、1980年代にファミコンが発売されると、記憶の中にもTVゲームが現れてきます。

1970年代からは多摩ニュータウンのような都市郊外の新興住宅地開発が進みます。しかし一方で、一時期新興住宅地で凄惨な事件が多発したことから郊外住宅地へ強い批判が向けられるようになり、風景がアノニマス(どこでも同じ)となってしまった郊外住宅地でこそこのような犯罪が起こるのだといった論調が注目を集めました。当然、生活様式の変化にともなうコミュニティの変化は、子どもたちの行動にも影響を与えると考えられます。街の整備が進んで自由に遊べる自然スペースやオープンスペースが少なくなっただけでなく、少子化で遊び友達が減少したり塾や習い事で時間を取られたりして子どもたち外遊びが減少し、記憶の底に残る「原風景」にその変化が影響しているように思います。

●多摩ニュータウンにおける調査
多摩ニュータウンの調査は、パルテノン多摩ミュージアム市民学芸員の方などの協力で実施し、68名の方から回答を得ています。そのうち5名はニュータウン開発以前に子供時代を過ごした方で、ニュータウン育ちの方は実質63名ということになります。数が少なく年代のばらつきもあり、中央大学の学生を対象とした全国的な調査とは正確な比較はできませんが、構成比によりかなり強引に比較してみました。

風景に関しては、多摩ニュータウンの調査では当然ながら全国の調査と比べて水辺や田・畑は少なく、道路や建物が多くなっています。しかし、意外にも緑に関する風景が多く、空き地・原っぱも多いことがわかります。公園や緑地が多く造られたこと、ニュータウンが少しずつ時間をかけて開発されてきたことが関係ありそうです。校庭・公園の割合にはあまり違いが見られません。

行動に関しては、校庭・公園で球技が制限されていることもあるのか、球技が少なく、鬼ごっこなどが多くなっています。自然の水辺がほとんどないので魚・ザリガニ取りは当然少なくなっていますが、意外と虫取りが多いことは緑地が多く造られただけでなく宅地造成中にそこここに林が残っていたことも関係していそうです。また、遊具や自転車などが多くなっているのは公園や遊歩道が整備されたからでしょう。

今回得られた回答からは、ニュータウンの特有の特徴が垣間見えるものの、子供を取り巻く環境としては意外と健全な印象を受けました。団地では近所に同世代の子供がまとまっていたでしょうし、緑地・公園・遊歩道が多く造られたこと、開発がゆっくり進んだために空地や雑木林などの空間が残っていたこと、開発事業体や開発時期の違いによって街区の様子が異なっていたりしたことなど完璧な計画都市とは言えないようなところも子供たちにはよかったのかもしれません。

5名の回答しかないのですが、ニュータウン開発以前の多摩市で子供時代を過ごした人の回答では、開発以降に比べて、当然ですが風景では水辺、田・畑、空き地・原っぱなどの割合が、行動では魚・ザリガニ取りの割合が大きいことが特徴的です。

(2025.3.31[Mon]記載)


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