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2026年01月分

第182回(2026年1月16日)

■ テーマ:「 四谷見附橋(1913) と 長池見附橋(1993)」
■講 師: 高浦秀明 (たかうら ひであき)さん(橋梁エンジニア)

高浦さんは橋梁設計の専門家として、数多くの橋梁設計や海外の橋梁プロジェクトなどを手掛けられてきたかたわら、水辺にかかわるNPOの理事を務められ、江戸・東京の橋梁の歴史や景観についての研究もされています。今回は、多摩ニュータウンの長池見附橋として移設された、四谷見附橋の歴史や景観的な価値などをお話しいただき、東京に残る美しい橋梁についてもご紹介していただきました。

●四ツ谷見附橋について
四ツ谷見附橋は1913年に作られた鋼アーチ橋(37m、幅員22m)で、1993年に移設された長池見付橋は同じ鋼アーチ橋ですが幅員は17.4mになっています。1991年に完成した新四ツ谷見附橋は方丈ラーメン※1で全長44m、幅員40mとなっています。
四ツ谷見附橋はカーネギー社製の鉄鋼を使ったリベット接合の主構、市電を支える重厚な床板、レンガとモルタルの擁壁、木製の基礎杭などの構造が特徴です。

●明治の東京の橋
明治維新後、洋式木橋が作られるようになり、明治10年ころボーストリングアーチ橋※2
が、明治20年ころには長スパンのトラス橋が作られるようになりましたが、リダンダンシーのなさや景観上の課題がありました。その後、明治30年ころには四ツ谷見附橋も含めアーチ橋がつくられるようになりました。
明治期に作られた隅田川にかかるトラス橋は、年代順に吾妻橋(1888年長さ146m、幅11.9m)、厩橋(1894年、157m、12.5m)、永代橋(1898年、182m、13.9m)、両国橋(1905年、165m、24.5m)、新大橋(1913年、166m、16.2m)の5つの橋があります。これらの橋は関東大震災に直面しますが、驚くことにすべての橋が落橋することなく残りました。ただ、一番新しい新大橋以外は床板が木製だったために消失し、橋は残っても人々は避難に使うことができませんでした。新大橋だけはコンクリート床板だったので、避難に使うことができたということです。
震災後、昭和にかけて隅田川には多くの橋梁がかけられています。これらはおおむね90年程度の年月が経過していますが、東京都では200年持つように補強しており、あと100年程度は今の姿を見ることができると思います。
鉄材は、鋳鉄、錬鉄、鋼鉄と倍々の強度に進歩しています。錬鉄を使った有名な構造物にエッフェル塔がありますが、使った錬鉄は7000tだそうです。これに対して鋼鉄製の東京タワーはほぼ同じ程度の大きさですが、」材料は4200と半分近い量になっています。

●四ツ谷見附周辺地域の変遷
見附とは城の防備のための枡形の備えのことで、道路はクランク状になっていて現代では交通の隘路となっています。 明治期には外堀も残っていました。
その後甲武鉄道※3が開通し新宿通りの改良と合わせ四ツ谷見附橋が開通しました。戦災により街は焼け野原となりますが、戦後地下鉄丸の内線が開通、1991年に四ツ谷見附橋の改築が行われました。旧見附橋は多摩ニュータウンの長池地区に移設され、長池見附橋として生まれ変わりました。
(四谷見附周辺地域の時代の移り代わりを、高浦さん自らが国土交通省の委員会向けに描かれた以下の6枚のパースで説明していただきました。)
・1867年 幕末の四ツ谷見附
・1913年 四ツ谷見附橋の建設時(甲武鉄道は開通済)
・1929年 中央線の複々線化(1932年に麹町消防署がコンクリート造に)
・1949年 戦災で焼け野原のなった四ツ谷見附(上智のイグナチオ教会が建設されている)
・1959年 丸ノ内線の開通
・1991年 四ツ谷見附橋の改築(幅員は22mから40mに、四ツ谷駅の改築)

●長池見附橋と古い構造物の保存の重要性について
四ツ谷見附橋の保存、移設に関しては、旧建設省、JR,、住宅都市整備公団、東京都などの関係機関の多くの努力がありましたが、中でも土木学会における様々な議論の末に成立した事業だと思います。
移設が実現するまでには10年の歳月を要しましたが、古い土木構造物を残すには大変な労苦が伴うものです。
結果として、長池見附橋は水辺の空間との対比や周辺の環境など、絶妙なロケーションに再現されています。幅員は縮小されましたが、堅牢健全な構造のたまものだと思います。
古い構造物の保存はとても難しい課題だと思っています。保存すべき対象物の保存価値を調査、確認し、その価値と保存の必要性を関係者に周知し理解していただくことが必要となります。その上で、保存・修復のための資金の調達、補修や修復のための技術の確保という段階を踏んで初めて保存ができることになります。一度失われたものや技術は再現できません。

●現存する明治期の素敵な橋として、3つ紹介していただきました。
・八幡橋(旧弾正橋)、1978(M11)国産ボーストリング橋、1929(S4)に富岡八幡宮境内に移設
・南高橋(旧両国橋の中央部)1904(M37)国産、1932(S7)現亀島川に移設
・十条跨線橋(東北線旧荒川橋梁)1895(M28)イギリス製、1931(S6)移設

●高浦さんのおすすめの橋を3つご紹介いただきました。
聖橋(神田川、千代田区)、クローバー橋(小名木川、江東区)、常磐橋(現存する石橋、日本橋川、豊田区)
最後に、高浦さんがつくられた、都心部のおすすめの橋を巡る散歩マップを紹介していただきました。

※1「方丈ラーメン橋」:ラーメン構造の一種で、橋の「方杖(ほうじょう)」と呼ばれ る斜めの支材(腕木)と桁(けた)、橋脚が一体となった頑丈な橋の構造
※2「ボーストリングアーチ橋」:弓(Bow)のようなアーチ構造と弦(String)のような吊り材を組み合わせたトラス構造の一種。アーチ橋とトラス橋の利点を併せ持ち、軽量化と経済性を両立しつつ比較的浅いライズ(アーチの高さ)でも長大スパンに対応できるのが特徴
※3「甲武鉄道」:明治時代に存在していた私鉄の事業会社。現在の中央本線のうち、御茶ノ水駅から八王子駅までの区間の前身。1906年(明治39年)の鉄道国有法により国有化され中央本線の一部となった。

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多摩市は日本一橋の多いまちとしても知られています。パルテノン多摩では、市民学芸員のチームが企画・編集した冊子『橋
たましのはしからはし』を刊行し、多摩市の橋について、市民学芸員ならではの目線でさまざまな角度から紹介しています。
多摩市の橋めぐりと都心部の橋めぐりを、多摩ニュータウン市民と高浦さんの関係の皆さんの相互交流のような形で実施したいものです。
高浦さん、大変興味深く楽しい話をありがとうございました。またお忙しい中準備をしていただき、さらに盛りだくさんの写真やパース、マップなどもご紹介いただき、とても楽しいひとときでした。

(2026.1.26[Mon]記載)


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