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2020年11月分

第151回(2020年11月19日)

■テーマ:「モダニズムの建築思想・近代都市計画の団地・NTの再生を考える」
—21世紀になって見えてきた欧米諸国の団地再生(建替・改修)の実情と課題—
■講師: 小畑晴治(こばた せいじ)さん((一財)日本開発構想研究所 )

今回もオンライン(microsoft teamsを利用)での実施で、24名の方の参加がありました。小畑さんのお話は5月のサロンで予定していたものですが、新型コロナ感染拡大防止の観点から延期させていただいていました。小畑さんにオンラインでもかまわないと了解していただき、実現できることになりました。

小畑さんは旧日本住宅公団に入社されて以来、UR都市再生機構で、長年集合住宅や戸建て住宅の計画・設計や再開発などを手がけられ、UR退社後は日本開発構想研究所でまちづくり、住まいづくりに係る調査研究に広く携わってこられました。長年の実績や研究をもとに、最近まとめられた論文「欧米と日本における団地・ニュータウン問題と再生」(UEDレポート2019年夏号)の内容をベースに、小畑さんご自身の経験を踏まえた、日本のニュータウンやまちづくりの今後についての提言をお聞かせ頂きました。

明治以降、日本の住宅・都市政策は欧米を手本としてきましたが、第二次大戦後につくられた欧米先進諸国の団地の実態は、実はあまり知られていないと、多くの実例を見せていただきながら話をしていただきました。19世紀末の産業革命以降、人口爆発や都市への集中が貧富の格差、不衛生なスラム化、公害や交通問題などの都市の問題が顕在化します。小畑さんの話は、近代都市計画の始まりからオスマンのパリ大改造、E・ハワードの田園都市論、さらに近代アメリカのシカゴ派の高層建築やマンハッタン開発、ペリーの近隣住区論などの大きな都市計画論の流れを紹介していただきました。改めて、時代背景や年代別に流れを整理して見せていただき、再認識できることもありました。

コルビジェを中心に第2次大戦中に発足したCIAM(近代建築国際会議)は、近代建築の規則を定形化し、機能主義や合理主義による建築のデザインを取り入れたが、これがモダニズム建築・都市計画をドグマ化させることにつながったのではないかといわれます。戦後の復員兵や植民地からの引揚者のための大量の住宅不足が生じたとき、欧米諸国はこの機能主義、合理主義のドグマ化したモダニズム建築を便利に使いました。その結果、大量に生み出された高層・板状の戦後の巨大な高層団地やニュータウン開発の荒廃が大きな社会問題となります。具体的には、移民や貧困層の集中による治安の悪化、犯罪の増加、コミュニティの崩壊、空き家の増加などが指摘されます。

これらの事例として紹介していただいた団地は、短期間で爆破・解体されたものも多く、あまり日本では知られていないものもあります。例えば、チョークヒル団地(イギリス):30棟の高層住宅が空中回廊で連結されていた。2000年ころに解体、カンバーノールド(イギリス)、エブリーニュータウン(フランス)、グロピウス・シュタット(ドイツ)、ベイルメミーア(オランダ)、ブルーイット・アイゴー(アメリカ)などです。

このような状況に対し、各国ではさまざまに批判や問題指摘がなされるようになります。アメリカでは、ジェーン・ジェイコブスが1961年に「アメリカ大都市の死と生」で問題提起します。ジェイコブズはアメリカのニューアーバニズムの原点でもあります。(※小畑さんが紹介されていたジェイコブスの映画は、「ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命」というタイトルで、アマゾンVIDEOで見ることができます。)

また、オランダのニコラス・ジョン・ハブラーケンは同じ年に「マスハウジングに代わるもの」を著しています。ハブラーケンは後にMITに招聘され、公団のKEP住宅、オープンビルディング、スケルトン・インフィル(2段階供給方式)などの考え方の基礎をつくった人だそうです。

小畑さんの話のなかで興味深かったのは、イギリスでは1980年代にマーガレット・サッチャーがイギリスのインナーシティ開発の失敗の反省から建築・都市計画家との対立しながら、団地計画や建築計画の問題を糾弾し、地域計画・都市計画の考え方を変革していったということです。

そして、世界ではモダニズムを乗り越えた、ニューアーバニズムの動きが生まれてきます。アメリカではピーター・カルソープによるコミュニティを重視した「アワニ―の原則」が提唱され、ポートランドやシアトルなどで、歩いて暮らせるまち(Walkable city)、TOD(transit oriented development)、スマートグロース(都市の成長抑制)の考え方、環境都市などの新しい都市づくりが提唱されてきます。

イギリスでは、チャールズ皇太子が1989年に、著書「A VIsion for Britain」の中で”Urban Village”という言葉を使ったのがアーバンビレッジ運動の始まりだそうです。皇太子を中心に開発業者、建築家、プランナーなどを集めて議論したことがきっかけで組織されたUVG(Urban Village Group)により、概念が確立されることになります。主な目的は、家から歩ける範囲での利便性や快適性や魅力を高めることだそうです。近隣コミュニティを重視した住民参加の再生事業、オフィスビルのコンバージョンによる住宅づくり、1960年代住宅団地の再・再開発などのまちづくりが実施され、現在も続いているということです。

そのほか、フランスのANRU(都市再生整備機構、2004年発足)による施策、ドイツのシュリンキング・ポリシーの概念や都市再生の実情、オランダのニューアーバニズムの動きなども紹介していただきました。

日本はモダニズムに乗り遅れたことが、逆に幸運だったのではないかという小畑さんの論です。明治維新後のヨーロッパはパリ改造の真っただ中で、まだ模索中であったこと、渋沢栄一や内務省が英国式の都市づくりを採用しようとしたものの、Gqrde City論の正しい理解ができず、「田園都市論」といった誤った解釈がなされてしまった。また、1919年に都市計画法や市街地建築物法が発効されたものの、4年後に関東大震災が起き、その後の大恐慌や大戦そして敗戦とまちづくりどころではなかった。ようやく戦後になって住宅供給が本格的に始まったというのが日本の状況だということです。

日本では、フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルを設計し、おりしも関東大震災の当日に竣工式を迎えたものの、その耐震性が立証されたという話や、大幅な予算超過でライト自身は竣工式に出席しなかったという逸話も紹介していただき、ライトの日本風土を生かした建築思想が孫弟子である、住宅公団の初期の時代の設計をリードされてきた津端修一氏に引き継がれてきたということです。面白かったのは、小畑さんの師である吉阪隆正氏はコルビジェの弟子でありながら大学のではその設計思想を伝えることはなかったと話されていました。

最後に、小畑さんの「これからの団地再生に向かって」の提言をご紹介してまとめとさせていただきます。日本のまちは衰退はしていても決して後退はしていない。日本のまちづくりに自信を持ってほしいと、たま・まちせんにもエールを贈っていただきました。

1)地域社会の現実と今後の社会を見据えることが重要
・超高齢化と人口減少の問題や、バブル崩壊後の社会的孤立が高まってしまった社会状況
2)「帰属感の持てる終の棲家」QOLを育む
・「自分らしさの演出+住まい育て」
・「プレイス・メイキング」(「場所性」の復活)、界隈性、街角らしさなど

3)つくって終わりとしない「日本庭園型まち育て」と「里山づくり」
・自然の風景に似せる、場所性演出、変化の包容等

小畑さん、膨大なデータや写真をご紹介いただき、準備にも大変な労力を割いていただいたことと思います。とても興味深く楽しい時間があっという間に過ぎてしまった気がします。ありがとうございました。

(2020.11.30[Mon]記載)


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