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2023年03月分

第165回(2023年3月16日)

■テーマ: 「多摩ニュータウンの団地設計アーカイブ(山工房の仕事)について」
■講師: 山田 正司(やまだ しょうじ)さん( (株)山設計工房相談役、登録建築家、多摩市在住 )

山田さんは、1974年にご自身の設計事務所「山設計工房」を設立されて以来、多摩ニュータウンの集合住宅建設に長く、深く関わってこられました。ニュータウンの集合住宅への強い思いから、70歳を目前にしたころ、それまで長く住んでこられた多摩市郊外のご自身の設計による戸建て住宅から、自ら手がけられたタウンハウス諏訪に移ってこられました。タウンハウス諏訪で住民の立場で暮らし、管理組合役員も経験してこられました。その経験から、居住者が自らのまちをよくするためには、団地の計画や設計意図を知り、理解することが大切であると実感され、ご自身の関わってこられた集合住宅、団地の設計や街づくりのアーカイブを残すことを決意されたということです。

日本住宅公団(現UR都市機構)の多摩ニュータウンの事業は、主に宅地開発事業を担う「多摩開発局」と住宅建設を行う東京支社が行ってきましたが、山田さんは、立場の異なるこの両者から請け負って作業できたことが、今回のアーカイブの資料に大変役立っていると言われています。

多摩ニュータウンの事業は、長い時間をかけて時代の変化に応じながら、時代を読み解き、その時代に適応した設計条件のもとに住宅団地がつくられてきました。山田さんは、特に場所を重視し、それを分析することで、立地特性を団地設計に生かすことが、ご自身の設計事務所としての大きな役割だったと評価されています。

手がけられた住宅団地は、八王子、多摩、稲城の3市、4地区の9団地にわたります。

多摩市諏訪・永山地区(タウンハウス諏訪)
多摩市落合・鶴牧・南野地区(タウンハウス落合、タウンハウス南野)
稲城市稲城地区(向陽台地区集合住宅団地、長峰地区集合住宅団地)
八王子市別所地区(堀之内駅前地区集合住宅団地、エストラーゼ長池、見附が丘地区集合住宅団地、レーベンスガルテン長池)

アーカイブにはこれらの9つの集合住宅団地のコンセプト、計画段階の様々な検討資料が美しいパースやイメージ図などをふんだんに盛り込んで、詳細に掲載されています。その内容について山田さんからお話ししていただきましたが、ここでは簡単に各団地計画の特徴やエッセンスをご紹介します。

@タウンハウス諏訪(1974〜1978年、1.1ha、58戸)
タウンハウス諏訪は1974年から78年まで4年間の検討を経て行われました。ご存じのように、公団のタウンハウスの先駆けとなった団地です。当該団地が建設されるころには量から質へと住宅需要が変化しており、公団住宅においても床面積の増加や居住水準の向上、多様な団地景観などが求められるようになっていました。公団では住居専用地域における低層の都市型高密度団地(タウンハウス)の模索が始まり、事務所を開設されたばかりの山設計工房をはじめ4社に検討設計が委託されたということです。その後、景観イメージの作成検討、イメージ提案を具体化するための、立川幸町団地をモデルとした試設計を行い、『専用敷地を小さくし、代わりに豊かなコモンスペースを確保し、全戸が接地型でコモンスペースに面する配置とする』 という、公団タウンハウスの設計思想が確立されました。
1976年に諏訪地区の敷地で公団のタウンハウスの設計が開始され、1979年に初入居に至ります。タウンハウス諏訪の特徴は南北に細長い敷地に3つの15戸程度のコモンを配置し、中央の南北の歩行者軸に沿って集会所と開放型のコモンを配置しています。

Aタウンハウス落合(1979〜1981年、1.82ha、116戸)
落合・鶴牧エリアは、住宅需要の質的転換や環境重視の時代ニーズを踏まえ、多摩ニュータウンのこれまでの計画概念を大きく転換した地区です。地区の3つの近隣公園と一つの地区公園や街区公園などからなるオープンスペースをリング状につなぎ、基幹空間という空間構造の概念を構築しました。この基幹空間に囲まれたエリアに、個性的な3つの低層集合住宅団地を配置するというものです。その一つがタウンハウス落合になります。
基幹空間を構成する公園に面する住棟は、勾配の異なる赤い三角屋根が変化のある景観を創り出しています。

Bタウンハウス南野(1983〜1985年、0.3ha、18戸)
尾根幹線外側の区域で、駅からも遠く、限りなく戸建てに近い集合住宅ということで計画した団地です。当時は戸建てへの住宅ニーズも大きくなっており、ツーバイフォー工法による木造のタウンハウスとして、二重の戸境壁で敷地も個別登記としました。小規模ですが当時の公団としては大変意欲的で稀有な団地です。

C向陽台地区集合住宅団地(1984〜1987年)
公団多摩開発局からの委託を受けて、向陽台地区のマスタープラン(整備計画)の作業を行いました。比較的大ブロックで傾斜のある敷地であり、団地計画にはかなりの工夫が必要でした。向陽台地区の集合住宅用地約10haに、公団の分譲、賃貸、都営、民間のマンションを配置するミクスドコミュニティの計画で、低地部の生活環境軸の周りに戸建て、その外側に地形の傾斜に沿って低層、中層,高層の集合住宅を配置するというミックス配列構造が特徴です。
整備計画作成の後、公団東京支社の委託でリベレ向陽台の集合住宅設計を行いました。整備計画の段階から戸数は1.5倍に、容積も大幅にアップしています。

D長峰地区集合住宅団地(1990〜1994年)
多摩開発局からの委託で、長峰地区集合住宅地の空間構成検討調査を実施しました。長峰地区は、稲城市の緑のマスタープランのテーマとなっている「緑の輪構想」の拠点となる地区であり、南斜面の眺望も優れた環境を有しています。このような特性を活かし、日常と余暇の融合を目指した「ライフリゾート」とすることをコンセプトとし、低建蔽率化とまとまりのあるオープンスペースの確保などを基本方針としています。
整備計画の超高層住宅案は、実際の団地設計では14階以下の高層住宅となり、スーパーブロックを生かしたオープンスペースは、東西方向のコミュニティゾーンと、二つの南北方向のグリーン軸からなる「スーパーコミュニティグリーン構造」を特徴としています。

E堀之内駅前地区集合住宅団地(1987〜1990年)
堀之内駅と住宅地の間は20mに高低差があり、法面面積が地区の4割をしめるような大変難しい条件の地区です。駅に近接した斜面地に如何にした住宅を入れるか、高低差処理に様々な提案工夫を検討し、相当数の住宅戸数を確保しました。駅前広場と住宅地をエスカレータ(現在は撤去されています)や斜行エレベータでアクセスを確保しました。駅前という立地から景観や賑わいの面でも、αルーム、ライブ・ピット(独自の集会施設)なども提案しています。

Fエストラーゼ長池(1989〜1991年、2.4ha、250戸)
公団多摩開発局の発注で東京都の協力も得て、エストラーゼ長池及び別所第2団地のエリアの整備指針を策定しました。堀之内駅周辺と長池公園周辺の里山構想の間、東側は府中カントリーに連なる保存緑地、西側は別所公園や街区公園など、緑豊かな眺望に恵まれた立地条件を有しています。このような条件のもとに、開発コンセプトを「緑の丘の集合住宅」、サブコンセプトを緑に映える勾配屋根を統一コードとした「いらかの里」と設定しました。
エストラーゼ長池は、自然緑地に沿った塔状のツインタワーと雁行の低中層棟、ゆるやかな大階段と通り抜けピロティなどを特徴としてます。

G見附ヶ丘地区集合住宅団地(1991〜1995年)
別所地区は堀之内駅前の都市核と長池周辺の自然核、これらを結ぶせせらぎ遊歩道を軸とする「二核一軸構想」をかかげています。見附ヶ丘地区はせせらぎ緑道に面する三つのブロックからなる約8.5haのエリアです。ここに都営住宅214戸、公社分譲住宅135戸、公団賃貸288戸、公団分譲212戸のミクスド・コミュニティによる”いきいき街づくり”を目指すものとしました。
このうちのコープタウン見附橋は東京都住宅供給公社からの委託で、配置計画から基本・実施設計、工事監理まで一貫して業務を実施しました。
四谷見附橋のレンガ造りの景観との調和を意識した設計にしています。

Hレーベンスガルテン長池(1994〜1996年、2.82ha、260戸)
長池公園の西側に接する高台にあり、西側は南大沢方面の眺望が開ける立地にあります。住宅供給の主体は民間にゆだねるという方向に変わりつつあり、公団の住宅建設も最後の時期になっていました。レーベンスガルテン長池は、長池の自然環境にふさわしい自然派志向の需要層をターゲットとして、クラインガルテン(菜園)を有する団地としてアピールしました。住戸は全て半屋外空間として
専用庭やルーフバルコニーを設けているのが特徴です。
山田さんは、タウンハウスに住んでみて、住民は高齢化しているし、当初入居者は少なくなっているが、環境にはとても満足しているとおっしゃっています。改めてニュータウンの団地の公共性、社会的意義ということを感じます。ニュータウンは時間をかけて、時代の変化に合わせ、多大なエネルギーを注いで作ってきたものです。都市基盤も居住水準はナンバーワン、団地の個性や多様性もオンリーワンです。周辺の桜ケ丘や橋本、町田などとの連携も図りながら今後の可能性には期待していると言われています。

参加された皆さんとの意見交換では、多摩ニュータウンにタウンハウスという住宅形態を導入した経緯などの話しも聞けました。また、山田さんの手がけられた団地を始めとする多摩ニュータウンが実現してきたこと、価値の再評価することの必要性、さらに居住者にニュータウンの価値や計画理念が伝わるようにしていくことが重要などの指摘もありました。若い世代の参加者からはあらためて多摩ニュータウンの良さを実感することができたとの声もありました。

山田さんのアーカイブの成果は、今回の参加者の皆さんの協力で、パルテノン多摩や多摩市を初めとする公共図書館に置いていただけることになりました。

山田さん、大変貴重で興味深い話をありがとうございました。膨大なアーカイブの資料の内容をお聞きするには時間が足りず、また、つたないまとめで、十分なご紹介もできず申し訳ありません。

(2023.3.28[Tue]記載)


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