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2018年03月分
■テーマ:「郊外の非計画市街地(神奈川県座間市)のまちづくりとホシノタニ団地について」 ■講 師:浅黄美彦(あさぎ よしひこ)さん( 座間市役所都市部都市計画課)
今回は座間市から浅黄さんをお迎えしました。ホシノタニ団地再生の話と合わせて、多摩ニュータウンとは市街地形成の過程が全く異なる座間市の様子を伺い、ニュータウンとの対比やホシノタニ団地の経緯や街の環境を聞かせていただきました。
市の中央部は南北に座間丘陵が縦断し、東部には相模原台地、西部には相模川に沿った沖積低地が広がっています。現在の市域は明治22年に4つの村が併合して誕生し、そのころは農業や養蚕を生業とする農村地帯でした。大正15年に現在の相模鉄道の前身である神中線が、その後昭和に入って小田急線、相模鉄道(現在のJR相模線)が相次いで開通し、さらに陸軍士官学校の移転など、街の様相が大きく変わる契機となりました。戦後、陸軍士官学校の跡は米軍基地となり、高度成長期には日産座間工場の進出など、都市化が急激に進みました。
座間市の市街地形成は、100ha前後の土地のまとまりで、軍関係の施設や工場等大規模施設が進出し、一方で鉄道駅を中心に小規模の住宅開発がなされ、工場跡地や座間遊園計画地にはマンションが建設されるなど、大規模施設と小規模住宅地がスプロール的に立地してきたという特徴があります。
このような市街地形成のなかで、ホシノタニ団地は元は小田急電鉄の社宅として1960年代に建設されたものです。座間駅に隣接した4棟の団地型社宅で、駅前ロータリーとプラットホームに接するという好立地ですが、建物老朽化と耐震不足により閉鎖されました。小田急電鉄はこの自社所有地を活用して、駅前再開発を計画したものの事業性の低さから計画は頓挫してしまいました。たまたま小田急電鉄の担当責任者がURの団地再生事業「多摩平の森」を視察したことで、その手法に感銘し設計監理を手がけたブルースタジオの大島芳彦氏に相談したところから臨棟間隔の広い広大な空間を活用したリノベーションによる賃貸住宅 という「ホシノタニ団地」のプロジェクトが始まりました。
ホシノタニ団地のコンセプトは”人とつながる、街とつながる、みんなとつながる、みんなの駅前団地”というのだそうです。空間構成の特徴は団地の真ん中に広場を配置し、広場を囲む団地の1階にみんなが集える施設や場を整備して、公共性の高い空間となるよう工夫されています。1階には子育て支援施設、カフェ、コミュニティキッチンなどを設け、敷地内空地には貸農園やドッグラン、子供たちの遊び場となる緑地帯などを整備しています。賃貸住宅は、”感度の高い20~30代の「子育て世代」”をターゲットに、37平米の2DKを間仕切りのない1LDKに改修し、1階住戸にはウッドデッキを備えた専用庭も設けています。事業成立の背景には、市営住宅として2棟を借り上げるという市とのコラボレーションが実現したことも大きな要因としてあります。
ホシノタニという名称は、近くに鎌倉時代から星谷寺(しょうこくじ)というお寺があり、そのお寺には昼でも星を映すという井戸があるそうです。このお寺の名前を借用して、カタカナの「ホシノタニ団地」が生まれたそうです。団地住棟の妻側には星座が連なっています。「ホシノタニ団地」の内容を詳細にご紹介することはできませんが、下記のHPを参考にご覧ください。 https://www.odakyu-fudosan.co.jp/sumai/mansion/hoshinotani/index.html
浅黄さん、大変面白いお話をありがとうございました。
(2018.3.21[Wed]記載)
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